短編集
「もしもし」
もしもし、とまた彼女はオウム返しをする。
「今どこにいるの?」
宮城くんの部屋の前よ。
「じゃあ、入れ違ったんだ」
宮城くんはどこにいるの?
「俺は駅にいる。先に入っててくれる?」
分かったわ。
「すぐに行くから」
彼女はまた、くすくすと幸せそうに笑った。俺はその笑い声を聞いて自分の顔に笑みを浮かべた。何だか嬉しい。やっぱり早く彼女に会いたい。大人しく部屋で待っていればよかったかな。
あぁ、ねえ、宮城くん。彼女は俺を呼んだ。
「なに?」
前に言ったよね。私は宮城くんがいないと生きていけないって。
「あぁ、うん。言った」
当たってるよ、それ。
「やっぱり。でも、俺もキミがいないとダメみたいなんだ」
でしょうね。
「――本当にすぐに行くよ。キミに言いたい事があるから」
彼女は笑いを残して通話を切った。俺は言葉通りに急いで来た道を戻っていく。車の多い大通りを渡りきって、路地にいる猫たちを避けながらアパートまで走った。
俺は本当に急いで帰ってきた。途中、自分の速さについていけなくて転びそうになったくらいだ。たんたんたんと行きより早く階段を上って部屋の鍵をポケットから取り出して、鍵穴にそれを差し込んで回す。ノブを回したけれどドアは開かなかった。
そうか、彼女と彼女の知り合いの男がいるのだから開いていても不思議じゃないか。俺はもう一度同じ動作を繰り返してからノブを回した。がちゃと音がして、きぃとドアが開く。
最初に俺が見たのはリビングで紅茶をすする例の男の姿だった。相変わらず落ち着いた様子だが、俺はリビングに行くにつれて男の異様さに気が付いた。
「なんです、それ」
男の黒いコートについた汚れを指摘すると、男は眉を下げた。
そう言えば彼はこの部屋に来てからコートを脱いでいなかった気がする。どうしてだろうか。確かに暖房器具はつけていないが今日はそんなに寒い日じゃない。まあどうでも良いか。彼はただ寒がりなのかも知れないし。コートを脱がない理由は山ほどある。
「おかえり、宮城くん」
「あ、はい、ただいま。彼女は来ましたか?」
「来たよ」
よかった。
「それで――その汚れは」
「あぁ、これは、ちょっとな」