短編集
俺は鍵と携帯をリビングの机に置いた。
コートの汚れは絵の具の様にも見えるけれど俺は絵を描かないから絵の具は持っていない。台所で汚れたのだろうか。
まあ俺の部屋は今すごく散らかっているから何処かで知らないうちに服を汚すのもあり得ない話ではない。やはりこれもどうでも良い話か。
あぁ、それよりも彼女は何処にいるのだろうか。俺は密かに台所を覗いて見る、が姿はない。リビングには勿論いないし、来て早々に寝室へ行くなんて事も少しばかり理解しがたい。
――いない。
となるとまた入れ違いになったのかも知れない。彼女はご飯を作りに来てくれると言っていたから、冷蔵庫を見て食材の無さに驚き買出しに出かけたのかも知れない。
「言ってましたか、彼女」
「なにを?」
「荷物の場所です」
「あぁ、うん。まあ荷物は受け取ったんだ」
「そうですか。よかった」
俺は落ち着きがないままリビングに立ち尽くしていた。買出しなんて電話してくれれば俺が行ったのに。
あぁ早く帰って来てくれないかな。俺は彼女が帰って来た様を頭の中でイメージしてみた。
ドアを開けた彼女はきっといつもみたいに何事もなかった風に登場するはずだ。平生通りに笑みを浮かべているに違いない。俺はそんないつも通りの彼女におかえり、なんて声をかけて、そうだな。
彼女が俺に贈ってくれた指輪でも差し出してみようかな。俺と彼女は互いに互いがいなきゃ生きていけないと自負しているのだから。
あぁ、じゃあ指輪の準備をしなきゃいけない。俺は高まる胸をなんとか静めて寝室のドアを開けた。そうして広がる赤を見た。
「宮城くん」
「なん、ですか?」
「俺は彼女と賭けをしてたんだ」
文字通り真っ白になっている俺の思考に賭けの二文字がふわりと浮かび上がった。あぁ、賭け。賭け事か。どうして賭け事を。
「宮城くんを殺せば、彼女の勝ち。殺せなければ俺の勝ち」
「俺、ですか」
「そうだ。彼女は宮城くんが好きだったからな」
彼女が俺を殺そうとしていた。まさか、ありえない。彼女は優しかった。それは、横暴な所もあったし自分勝手な所も多々あった。だけれど彼女は優しかった。
さっきだって俺が飯を食っていないと言っただけで笑って返事してくれたじゃないか。じゃあご飯でも作りに行くわ、って。そんな愛らしい彼女が俺を殺そうとしていたなんて。考えられない。
――そんな優しい彼女が俺の寝室で服を血に染め倒れているなんて現実は、出来れば今すぐにでも逃避してやりたい。
「信じてないな」
信じられるわけがない。
「彼女は三回、宮城くんを殺そうとしたんだ」
「知らない」
だけど言葉とは裏腹に俺の記憶は男の言葉によって遡っていく。
「石灰を飯に入れたり」
コンクリートの味がした彼女の料理。
「硬い物を投げつけたり」
地デジ非対応のブラウン管テレビのリモコン。
「後は、銃殺」
三ヶ月前に突きつけられた拳銃。
「俺が聞いたのはこれだけだ」
彼女は本当に俺を殺そうとしていたのか。
「賭けの期限は三ヶ月。ちなみに今日がその期限だ」