短編集

「誰が届けを出したんですか?」


「えぇっと……何て言ったかな、木崎」


「三井尚吾さんです。御崎さんの同居人」


「あぁ、そうだ。その連絡の為に今から署に帰るから……」



 森下さんは言葉を止める。御崎静香が震えていたからだ。俺はミラー越しにその様子を見ながら自分の記憶を少しだけ巻き戻した。

 彼女は三井尚吾の名に怯えている様だ。同居中の家出なんて、痴話喧嘩か暴力沙汰か。何にしてもここまで怯えるのは普通じゃない。彼女の中で三井尚吾と言う人間は、恋人ではなく恐ろしい人と位置づけられているのだろう。



「御崎さん、三井さんと何かあったんですか?」



 そう聞いてみるも、彼女は首を振るばかりである。だが微かに森下さんの様子を伺うと、御崎静香は遠慮しながら彼に尋ねた。



「……あの、すぐに両親の所へ帰る事は出来ませんか?」


「まあ、出来なくはないが。三井さんにも連絡を取るぞ」



 森下さんは決まりきった答えを返した。そして彼は何を思ったか御崎静香を見て、一瞬だけ険しい顔をする。前の家出人に比べると暴れないし、会話も出来るし問題はないと思うのだが。二人ともが何も言わなくなった車内は異様な空気に包まれた。

 俺は何とかその空気を払拭しようと脳内で必死に妥協案を探す。



「とにかく、署に戻りませんか。此処にいても始まらないし」



 言って数秒間の間があったが、森下さんがいつもの声で了承してくれたので俺は車を発進させた。エンジン音だけが空しく車内に響く。そんな中で一番に声を出したのは森下さんだ。

 どうやら彼は掛かってきた電話に対応しているらしい。会話から聞こえる単語の端々から、それが今、世間を騒がせている連続殺人の件だと知る事が出来た。生活安全課では担当しない管轄外の殺人事件。

 その情報がなぜ森下さんに伝えられるかと言うと……話は簡単である。



 百日事件。

 担当している捜査一課の連中は今回の件をそう呼んでいる。報道機関は『百日連続殺人事件』と重々しい言葉を好んでいる様だが。その名はどちらも百日周期で人が殺されている事に由来している。

 今の所、被害者は四人。四人ともが女性であると言う事以外の共通点は、一年以上捜査し続けているにも関わらず未だに発見されていない。

 犯人についても同様。見つかったのは現場に残された小さな靴跡一人分だけ。その跡も靴跡とは判明しているものの、子どものサイズより小さいものだから、捜査一課では物の怪の類だと物議を醸す者まで出てきている。

 故に犯人像は一切浮かんでいない。それに加えて、もうすぐ前回の被害者が発見されてから百日が経過しようとしている。だから管轄外の森下さんにも事件の連絡が来るのだ。


 手掛かり一つない事件を解決に導く近道は、増員のみ。かなり苦肉の策だと署内でも噂されているが、仕方がない。



 ぱた、と携帯を閉じた森下さんは小さく息を吐いた。もしかして新たな被害者が出てしまったのだろうか。俺は不安に苛まれながらミラーに映る森下さんへ視線を送った。
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