短編集
「例の……例の足跡が本物のネズミのものだった、と」
あの連続殺人事件の唯一の手掛かりである足跡が、本物のネズミのものだった?
そのネズミがどうやって四人もの人を殺すのだ。まさか森下さんが今まで言っていた「ネズミ」と言うのは本物のネズミの事だろうか。
だが、その手下は人間だったはずだ。人間がネズミの手下になるなんて、ありえない。人工頭脳を持ったネズミが居たとして、それが幾ら素晴らしい知識を持ったネズミだったとしても、俺ならネズミの手下にはならない。
――絶対に。
「それはお前が猫だからだろ」
またこの人は勝手に人の思考を読みやがって。
「俺は人間ですよ。いいから、知ってる事を全部話して下さい」
黒のボンネットが俺の視界に入ってきた。つまり、ワゴン車の運転席は後部座席に近いと言うこと。いつ誰が撃たれるか分からない状況である。森下さんはそれを知りながらも、俺を馬鹿にして笑っている。
死ぬ気満々じゃないか。
隣を見習ってもう少し怯えてくれれば緊迫感も出ると言うのに。自由な人だ。
「じゃあ、人を呪って、百日後に死んだ僧の話を」
「誰が昔話をしろって言いましたか」
「まあ聞けよ。百日だぜ。奇遇じゃねぇか」
辺りの車を気にしながら、俺は本日二度目のキックダウン。アクセルを思い切り踏みつけてスピードを上げた。黒のワゴンは少しだけ後ろに退いたが、すぐに追いついてきた。もうすぐトンネルに差し掛かる。薄暗いそこに入れば、少しは狙いもぶれるだろうか。
「話はその僧が死んでからだ。死んだら普通どうなる」
「あの世に行く、とかですか?」
「そう。だが僧は怨念を持って死んだから、怨霊と化したらしい」
俺たちの車と黒のワゴン車は殆ど同時にトンネルに入った。入る前に見えたのは、運転しながら銃を構える女の姿。見ない方がよかったと後悔したのは言うまでもない。
「その怨霊は、誰かが鉄鼠と名付けていたな。他には頼豪鼠とか」
「テッソ? ライゴウネズミ?」
「つまり怨念を持ちすぎて、死ぬと同時に妖怪と化した訳だ」
此処まで妖怪がついてくるとは思わなかった。だが森下さんの正体を知ってしまった手前、やはり疑う事は出来ない。サトリの生まれ変わりがいるのだから、怨念の塊である鉄鼠とやらの生まれ変わりがいたって可笑しくは無いのだ。
「それと、その鼠だが」
森下さんの声が、ガラスの割れる音と共に消えてしまった。二発目の弾丸で、窓が耐えられなくなったのだろうか。それ以後、森下さんの話が再開される事はなかった。
彼の名を呼んでも倒れた身体は起きてこないし、蚊の鳴く程の声でさえ聞くことが出来なかった。御崎静香は思い切り息を吸ったまま声を出さない。叫ぶ力も衝撃に奪われたか。