短編集
「俺はどれくらい眠ってたんだ」
「二ヶ月ほど、ですかね」
俺の呟きに答えた林田くんは、お見舞いにと猫じゃらしを渡してくれた。ふざけているのかと思ったがそうではない。彼は俺が欲しいものを持って来たのだ。
俺は猫じゃらしを眺めて息を吐いた。
「森下さん。俺は、可笑しくなったんでしょうか」
子どもの頃から猫じゃらしは好きだった。ふわふわで、ゆらゆら動くところが特に気に入っていた。だが、大人になってもこんなに好きでいられるものだろうか。否、成長するたびに触れる機会も見る機会も減っていき、今じゃ道端で見かけたって無視する程度だったはずだ。
なのに今の俺は、
これが好きでたまらない。
「猫の首根っこは、あまり痛みを感じないそうだ」
森下さんは俯いたままの格好でそんな事を呟いた。だから何なのだと文句を言おうと思ったが、彼に当たっても仕方がない。そのまま黙って聞いていると森下さんは猫の習性について語り出した。
熱いものが苦手で、魚が好きで、猫じゃらしに目が無い。それはまるで今の俺の姿を話しているみたいで――。
「そうだよ木崎。これは全部お前の事」
心を読んだ彼は言う。
「お前は妖怪猫又の生まれ変わりだったんだ」
俺の頭は新たな情報の介入に混乱を始めた。だがそれはすぐに落ち着く事になる。何となく分かるのだ。俺が首を斬られてから出血多量で気絶するまであまり痛みを感じなかったのは、猫の首根っこだから。
そしてかつおやネズミをしきりに美味そうだと思った思考も、俺が猫の妖怪の生まれ変わりだからだ。
「恐ろしい」
そう感じた。だが森下さんは俺の言葉を否定する。それも、そうだろう。彼はサトリと言う妖怪の生まれ変わりなのだ。恐ろしいだなんて。だが俺は失礼な事を言ったとは微塵も思わなかった。その様子を見ていた林田くんは森下さんと同様、静かに首を振っている。
「恐ろしくなんてありません」
「何を根拠にそう言える」
「俺や森下さんの事を、一度でも恐ろしいと思った事がありますか」
今の俺は事を理解するのに逐一時間が掛かっている。だが考え始める前に林田くんは動いた。彼の顔は次第に蒼白くなり、少し伸びていた髪も異様なスピードで伸びていく。
百聞は一見に如かず、と言うが。まさにそれだ。彼も妖怪だったらしい。否、生まれ変わりだろうか? 伸びた毛が地面に着く頃、俺は驚きとは違う感情を手に入れていた。恐怖や苦痛より安堵に近い哀しみだ。俺は彼らを恐いとは思わない。
今も、昔もそれは変わらない。だが。
「俺は妖怪夜叉、妖怪を守る為に生きる妖怪です」
本物の妖怪は優しい声で俺に問う。
「俺が、恐いですか?」
「恐くない」
違うのだ。
「俺が恐いのは、俺自身だけだ」