短編集
「木崎さん、森下さんは警察を辞めたんですよ」
いつの間にか人間の姿に戻っていた林田くんが呟いた。
「ちなみに貴方は停職扱いです。言うなと口止めされたんですが」
「そこまで言ったのなら言えよ」
「勿論。俺は最初から言うつもりでしたよ」
にこりと笑った彼は俺が眠っていた二ヶ月間の事を簡単に説明してくれた。森下さんはネズミを確捕してすぐ、今回の事件の全貌を御崎静香にすべて説明したそうだ。その際、妖怪などと言う信じられない話は林田くんが担当したらしい。
例の姿を見せたそうだ。
御崎静香は車内でのネズミ怨霊説を黙って聞いているくらいだから、そこまでする必要はないと思うが。とにかく事件は解決し、森下さんと俺、林田くんは表彰された。
状を受け取ったのは林田くん一人だったそうだ。森下さんはこの時既に職を辞する事を決めていたのだとか。当然俺は、受けられるはずがない。結末として御崎静香の保護は解除され、ネズミは刑を受けるそうだ。
「辞職の理由は、貴方の怪我に責任を感じたからだそうです」
先に彼も言っていたが、森下さんは辞職の事を俺に言うなと口止めしていたらしい。彼はこの二ヶ月、貯金を崩しながら俺の看病をしていたそうだ。林田くんも何故か何度か来てくれたらしい。
「俺がいつ来ても、森下さんが居ました」
「……お前は何で、止められてる事をべらべら喋るんだ」
「貴方が彼に対して罪悪感を覚える様に仕向けたいからです」
正直な奴だが、腹黒い奴だ。
「さっき、死人を生き返らせるのは無理だと言いましたね」
「あぁ。覚えてるよ」
「でも死なない為の治療をする事は、現在でも可能ですよ」
それはつまり、俺が人間に戻れる可能性があると言うことか。猫から逃れる術があるのか。俺は背筋を伸ばして彼の言葉を待った。林田くんは変わらない調子で、果てない事を告げる。
「世界は広い。猫を抑える方法は、この世の何処かにあるでしょう」
四百年を生きた彼も術を知らないのだ。ただそれが無いとも言い切れないらしい。なら俺はそちらに賭けるしかあるまい。ただ無意味な死と猫による侵略を待つだけでは、後悔の念で次はネズミに化けそうである。
それはそれで問題だ。
「俺はこの先も各地を回ります。妖怪を守るのが義務ですから」
彼は、サトリでもないのに俺の心を見透かした。
「猫の噂が聞けるかも知れません。一緒に来ますか?」
「俺に罪悪感を与えたのは、この地を離れやすくする為か?」
「そうですよ。だって貴方はついてくるでしょう?」
「何で言い切るんだ」
「俺には近い未来を見る力があるからですよ」
森下さんの傍に居れば、俺が彼を縛ってしまう。居なければ彼は復職でも何でも出来るだろう。心配の種がないのだから。俺は自分の人生を振り返った。ドラマみたいな刑事に憧れて警察に就職したが、今や妖怪だ何だと訳の分からないものに巻き込まれて生死の境まで彷徨う始末だ。人として何て非日常的なのだろうか。
「一緒に行くよ。連れてってくれ、林田」
俺、木崎一の日常は崩壊した。音もなく静かに、消える様に。
だがやはり心配しなくても良い。その先に待っていたのはまたしても俺の日常だったのだ。それも、そうである。俺は生まれた時から何も変わっていない。ただ、恐ろしい妖怪の生まれ変わりだと気付いただけで、結局全ては俺の日常なのである。
俺は生まれてから今までずっと、猫又を担いだ木崎一なのだから。
(終)