短編集

02


「いたっ」



 妻が台所で声をあげた。俺は何事かと台所へ駆け寄った。白いまな板に赤い血がぽたぽたと垂れている。妻は薬指を押さえて眉を下げながら傷口をじっと眺めていた。



「指切ったのか。待ってろ。絆創膏、持ってくるから」


「うん、ごめんなさい」



 俺は救急箱から消毒液と絆創膏を手にして台所へ戻った。妻はその間も傷口を眺めていたらしく、俺の足音を聞いて顔を上げる。



「指出して」


 ティッシュで流れる血をぬぐい、邪魔になるからと指輪を抜いた。消毒をして絆創膏を貼ると血がじわりと滲んでいた。少しばかり深く切ったらしい。絆創膏じゃだめかもしれない。



「包丁で切ったのか? あれ、その包丁」


「おもちゃみたいだけどよく切れるみたい」


「そりゃ、包丁だからな」



 俺は笑ってガーゼを取りに再び台所を離れた。そうか、あの包丁はまだ使っていたのか。捨てられてしまったかと思ったけれど。何だか少し安心する。



「手、もう一回出して」


「うん」


「血、止まらないな。俺が料理するから座ってろよ」


「ううん、大丈夫。テーピングか何かでグルグル巻いて」


「でも」


「夫の料理くらい妻に作らせて。それが仕事だもの」



 いつか聞いたあの台詞を思い出して、俺は情けなく笑った。ガーゼを貼り言われた通りテーピングでぐるぐると指を巻いていく。太くなった。これじゃ指輪は入らない。



「指輪テーブルの上に置くから」


「うん、ありがとう」



 俺は妻の指輪をテーブルにおいて、ソファーに戻った。そしてふと考える。どうして左手を切ったんだ。


 妻は――左利きなのに。


 ソファーから台所を見ると、何事もなかった様に妻は料理を再開していた。ぐるぐる巻かれた左薬指以外は普通だ。そして黄色い柄の包丁がとんとん、と何かを刻む。今日のご飯は……何、だろう。

 恐ろしい気持ちと考えてはいけないと言う気持ちが入り混じる。恐怖に慄いて思考が動かない。だが俺の脳は考えたがる。

 なぜ。

 なぜあの人は右手に包丁を握っているのだろうか。俺は机の上のシルバーの細いリングを眺めた。左手の薬指にはまっていた指輪を。


 不意に先程のニュースが気になって細いシルバーのリングが光っていた画面を凝視した。だがやっているのはバラエティ。何をどうすればいいのか分からなくなってチャンネルを回してみたけれど、この時間に事件のニュースを流しているチャンネルは少ない。



「ねえ」



 ふと台所から声がした。



「もうすぐ出来るよ」


「……うん」


「今日はステーキだよ。豪華でしょ?」


「……うん」
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