短編集
声ばかりが俺の脳に届いた。
同じ痛みを何年も前に受けたからか、フラッシュバックの様に今までの記憶がよみがえる。
六年目の結婚記念日、俺は誰かに階段から突き落とされた。
七年目は飯を食った後に原因不明の腹痛と睡魔が襲ってきた。
八年目は車に轢き逃げされかけた。
九年目は寝ている時に誰かに首を絞められた。あれは金縛りと霊の仕業だと思い込んでいたけれど、十年目の今。包丁で腹を刺されて初めて分かった。俺はこの五年間狙われていたのだと。
「まさか昔みたいに記念日を忘れてたの?」
「お前、は」
「あんたがあの人と結婚しなければ、あの人は階段に頭をぶつけて死んだりしなかったのに。私と結婚していればよかったのよ。そうすればみんな幸せだったわ。あんたのせいよ、全部、全部」
痛みのせいで視界が歪む。
彼女の涙が話に現実味を出している。狂っているのは確かにこの女。だけれど悪いのは、俺なのか。分からない。もう考えるのすら疲れる。考えたくても頭が動かない。
「あんた、本当に姉さんを愛してたの?」
まきさんが白い刃を持ち上げてもう一度俺に振り下ろした。
*
俺には「ただいま」と言えば「おかえり」と返してくれる妻がいる。恥ずかしくていつもありがとうなんて言えないし、大した事は出来ないけれど、俺は妻が大好きでこれからもきっと大好きだ。
だから結婚十年目の今日は急いで仕事を切り上げて妻の「お帰り」を耳に入れようと家まで走った。スーツがシワになろうが、誰かからの電話に気付かなかろうが関係ない。俺は急いだ。
――愛する妻の元へ。
さて、俺は今まで――誰を愛していたのだろうか。一体、誰の「おかえり」を聞きたかったのだろうか。
(終)