短編集
歩き続けて何分経ったか。まるで終わらない廊下に嫌気が差して私は後ろを振り返った。足音で分かっていたけれど、あの子は付いてきている。
そして恐ろしく楽しそうに口は笑い、目は据わっている。
「何なの、ここは」
「水槽の中。さっきも言ったよ」
「水槽はあっちでしょう」
私は右の窓を指差した。
それから左も。
「あれが水槽」
「じゃあ何て言えばいいのかな」
「知らないわ。聞いてるのは私よ」
「水槽は魚を見る為に入れるものだよね」
「言い方が難しいけど、多分ね」
「じゃああれは水槽じゃないよ」
「どうして」
「魚は見られてるんじゃないから」
「どういう意味?」
「魚は見てるんだよ」
一瞬、ぞくりとした。
泳いでいた魚たちが私を凝視している気がする。どうして。さっきまでそんな事はなかったのに。この子の言葉のせいだろうか。それにしては、酷く気持ちが悪い。肌に突き刺さるみたいな視線。
早く、ここを出たい。
「出たいの?」
「出たいわ」
「無理だよ」
「どうして」
「キミは商品だし。勝手に行かれたら困る」
意味が分からない。私は終わらない廊下をまた走り出した。でも幾ら走っても出口は無い。扉もない、角もないし行き止まりもない。どうすればいいか分からない。恐怖だけがじわじわと心に染みる。
いっそ窓を叩き割って脱出してやろうかとも考えるけれど、窓を叩き割る道具がない。手じゃ到底無理だ。私と水槽と、後ろから付いてくるこの子しか此処にはない。
どうして。
「キミが願ったんだよ」
「何を」
「魚になりたいって」
「……そんなこと」
「願ったよ。だから叶えてあげた」
「あなたは何なの」
「これも言ったよ。飼育員って」
「――だれの?」
にたり、と笑う。
「聞き方が間違ってないね。いい子だ」
「触らないで、何なの」
「キミの飼育員だよ」
「ふざけないで」
私は再び走り出した。だけれどやはりそこにあるのは永遠と続く廊下だけ。私は息を荒げたまま振り返り、恐怖に満ちた目で口角を上げるその子をにらみつけた。
「言ったでしょ、ここからは出られないよ。キミは見る人じゃなくて見られる人なんだから。水族館の魚の様に、ね」
(終)