メルヘン侍、時雨れて候
長編を書かなかったわけではない。だけど書きたかったシーンを書ききった瞬間に満足してしまったり、その満足で衝動や動機、情熱は冷めてしまったり、プロットとかいう地図も持たずに闇雲に走り、結果疲れて迷子になることも何度もあった。それらを含めて長編を書ききるというのは根性である。そのことは自覚していた。



“逃げるという言葉。追いかけられているのだから逃げるという事になる。二月は一体何から逃げているのだろうか?”

“そして、毎年毎年、多くの人から逃げ切っているのだろう”

“競馬にはあまり興味はないが、逃げ馬がぶっちぎりで勝つレースというのは見ていてとても気持ちがよい”

“気持ちが良いというのは語弊がある。画面として、とてもシュールなのだ。あんなのはレースでもなんでもない。だが、そこがいい。”

“ただ、生物学的に見ても草食動物である馬は逃げるのが本能であり、逃げ馬というのはまっとうなことではある。”

“最後のほうだけ帳尻を合わせるように頑張って大逆転するという人間くさいドラマチックを多くの人が望むとは思うが自然か自然じゃないかというと不自然であり、最初から頑張れよなんて思う。”

“しかし、最初から頑張っている逃げ馬というのは、たいがい後続に一気に抜きまくられる展開を見せる。なぜ最後まで頑張れないのか?”

“多くの逃げ馬は臆病で繊細であるため、他の馬が視界に入らないよう大概はおしゃれな覆面をしている。二月もきっとおしゃれな覆面をつけているのだろう”

メルヘンさんは、首をかしげながらなんで競馬の話を書いてるんだろうとひとりごちし、グリグリと黒く塗りつぶした。
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