涙と、残り香を抱きしめて…【完】

「大人の事情だ…」


苦しい言い訳をし、速足で歩き出した俺の耳に安奈の寂しげな声が響いた。


「あたしのせいでしょ?」


俺は真っすぐ前を向き、振り返ることなく答える。


「お前のせいなんかじゃない。心配するな」


すると、追いついてきた安奈が俺を睨み
「心配なんてしてないよ。仁君は誰にも渡さないんだから!!」と怒鳴った。


「安奈…」

「仁君は死ぬまで一生、私の父親なんだから…
仁君の一番はあたし。
他の女になんて渡さない」


ここまで娘に慕われる父親は、そうは居ないだろうな。
なんて思いながら苦笑いを浮かべる。


安奈がこれほどのファザコンになったのには訳が有る。
俺と…別居している妻のせい。
俺達夫婦が、安奈を追い詰めたから…


安奈の言う通り、俺の一番は、一生、安奈だ。
その気持ちはこれからも変わることはないだろう…


星良を手放した理由は、もちろん星良の幸せの為
しかし、最大の理由は…安奈だ。


星良にとって、俺の代わりはいくらでもいる。
だが、安奈の父親はこの世でただ一人…俺だけだ。
安奈を守ってやれるのは、俺しか居ない…


車の助手席のドアを開け、ソッと安奈の背中に手を添える。


「俺の一番は、安奈だよ」そう言って…


だから星良…
お前とは一緒には居られない…


でもな…これから先、何があっても、俺は星良を忘れない。
おそらく死ぬまでお前を愛し続けるだろうな…


最愛の女…島津星良


もうお前の涙は…拭ってはやれない…


せめて、この言葉をお前に言ってやりたかった。


"星良……愛してる"と…
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