涙と、残り香を抱きしめて…【完】
それから1時間、渋々ながらも、なんとか明日香を納得させる事が出来た。
「すまなかったな。明日香には感謝してるよ。
これからも星良の相談相手になって、アイツを助けてやってくれ」
『仕方ないわね…分かったわよ。
専務がそれでいいなら、もう何も言わない』
「あぁ。じゃあな…」
半ば強引に会話を終わらせると、切れた携帯を閉じ、眼の前の白い封筒を手に取る。
封を切り中を覗くと、薄い紙が一枚入っているだけ。
せめて最後に感謝の手紙の一つも入っているかと思ったが、本当に愛想の無いヤツだ。
離婚届を広げると、既に保証人の欄までキッチリ埋められていて、俺が署名捺印すれば、直ぐにでも出せる状態になっている。
こんなところは抜け目ない。
スーツの内ポケットからペンを取り出し、署名すると、その横に印鑑を押す。
不思議なほど、なんの感情も湧いてこなかった。
嬉しいとも、悲しいとも、何も感じない。
翌朝、少し早やめにマンションを出て、区役所に向かい躊躇する事無く離婚届を提出した。
「離婚届は受理されました」
職員に事務的にそう告げられ、これで俺は晴れて独身の"水沢仁"になったんだと、やっと実感が湧いてきた。
だが、それを喜んでくれる愛しい女は、もう居ない…
いや…愛しくは無いが、最高に喜んでくれる女が1人だけ居たな…
区役所の隅にあるガラス張りの喫煙室に入ると、タバコと携帯を取り出す。
タバコの煙で白く淀む小さな密室で、俺はひっそりと携帯の通話ボタンを押した。
「…俺だ」
『あら?朝早くからラブコール?』
「まぁ、そんなとこだ…
今、離婚届けを提出してきた。
これで、俺とお前は晴れて赤の他人だ」
「そう…御苦労さま。
今まで、有難うね。仁…
あなたの幸せを祈ってるわ」
「俺も…お前の幸せを祈ってるよ。
凛子…」