涙と、残り香を抱きしめて…【完】
「…帰ってくれ」
自分の事で精一杯だった俺は安奈にそう告げ、ドアを閉めようとしたが、彼女は納得せず泣きながら俺の名を連呼し続けた。
廊下で騒がれたらさすがに困ると、仕方なく安奈を部屋へ入れたんだが…
なぜ、安奈はここに来たんだ?
戸惑う俺に安奈は右手に持っていた缶コーヒーを差し出し「蒼君、このメーカーの缶コーヒーしか飲まなかったでしょ?」と微笑む。
「あ、あぁ…。よく知ってるな?」
「うん。あの時もそうだったから…」
「あの時?」
「あたしが…中学生だった時だよ…」
ベットに座っていた俺の横に腰を下ろした安奈が、左手に持っていた缶コーヒー開ける。
「あたしね、中学の頃、いじめられてたんだ…
ママがデザイナーしてるから、読者モデルになりたいって子が紹介してくれとか言ってきて…
断ると生意気だとか言われてさ…
で、なんとなく他の友達もあたしの事避ける様になってきて、クラスで孤立してたんだ。
悔しかった。どうしてあたしがママの事でいじめられなきゃいけないんだって思って…
ママに相談したかったけど、仕事が忙しくて帰って来るのは深夜だし、ゆっくり話しなんて聞いてくれなくて、で、もう我慢出来なくて、ママの事務所に行ってみたら、ママは居なくて蒼君が居た」
そこまで聞いて、やっと思い出した。
突然、事務所にやって来た安奈が思い詰めた顔をして「デザイナーなんて最低の仕事だ」なんて言ったんだ…
デザイナーを目指している俺にとって聞き捨てならない言葉。そんな事言われたら引き下がれない。自分のデザイン画を見せながら、デザイナーがとんなに素晴らしい職業かを安奈に切々と話していた。
初めは興味を示さなかった安奈だったが、徐々に俺の話しに眼を輝かせデザイン画と完成品を見比べたり、ファッション雑誌を手に質問までしてくる様になった。
笑顔が戻った安奈に、俺は自販機で缶コーヒーを買ってやり2人で飲んだんだ…
それから時々、事務所に顔を出す様になった安奈と缶コーヒーを飲みながら、ファッションの話しで盛り上がった。
「あの頃のあたしの唯一の楽しみは、蒼君と缶コーヒーを飲みながら話しをする事だったんだよ」