涙と、残り香を抱きしめて…【完】
それから30分後、香山さんが戻って来た。
「待っててくれたんですか…すみません」
恐縮しながらそう言う香山さんに、仁が心配そうに訊ねる。
「それで、桐子さんは?」
「ちょっと…場所を変えましょうか」
神妙な顔をした香山さんが歩き出し、私達もその後に続く。
香山さんが向かったのは、一階にある喫茶店。
注文したコーヒーが運ばれてくると、香山さんは大きく息を吐き話し出した。
「4年前、桐子の脳に腫瘍が見つかったんですよ」
「…腫瘍?」
「えぇ。でも良性で、様子を見ようと医者に言われていたんですが、前回の定期検診で腫瘍が大きくなっている事が分かって、手術を勧められてね。
このまま放置すれば、普通に生活するのは難しくなるだろうと…
私は桐子に手術をするように言いったんだが、彼女は手術を拒否したんですよ」
「えっ…どうしてですか?」
「丁度その頃に、凛子ちゃんからショーで結婚式をやらないか…と声を掛けてもらって、桐子は凄く喜んで楽しみにしていたんだよ。
今、手術をすれば、ショーには出られない。
それが嫌だったんだろうね…
今まで何度も仕事でウエディングドレスを着てきたが、本当の自分の結婚式でウエディングドレスを着るのが、桐子の夢だったんだと思う…」
「あ…」
そうなんだ…仕事でどんなに素敵なウエディングドレスを着ても、たった一度、本当に好きな人の為に着るドレスが何より価値があるモノだから…
桐子先生の香山さんに対する愛が痛いほど伝わってくるのと同時に、それが叶わなくなってしまうんじゃないかと思うと、悲しくて堪らない。
「でも、そんな事を言ってる場合じゃない。
明日、手術する事に決まった…」
「明日…ですか?」
仁が沈んだ声でそう呟くと、香山さんが飲みかけのコーヒーカップを置き、深々と頭を下げた。
「あぁ…。仁君には申し訳ないが、今回のショーの結婚式には参加出来ないよ」