涙と、残り香を抱きしめて…【完】

「あ、そうそう!!前に星良ちゃんが成宮と待ち合わせだって一人で来た時あったじゃない。

あの時にカップルで来てた男性。
星良ちゃんが知り合いかもって言ってた人…覚えてる?」

「え、ええ…」


そんな…まさか…


「その人がつけてくれたんだよ」


優しく微笑んだマスターの顔が滲んでいく…


やっぱり、仁だ…


仁なんだ…


グラスを持つ手が震え出し、胸が張り裂けそうに痛い。


マスターが仁から聞いた幸せにしてやれない女性…
それは、間違い無く私の事
なら、仁は、私を愛してくれてたの?


本気で…愛してくれてたの?


手の震えが全身に広がり、もう平静を装う事なんて出来ない。


「どうしたの?星良ちゃん」


明日香さんとマスターが驚いた表情で私の顔を覗き込んでくる。


「ごめん…ちょっと、気持ち悪い…」


私は慌てて立ち上がると、戻って来た新井君を突き飛ばしトイレに駆け込んだ。


「仁…。仁…」


何度も彼の名を呼び
そして、仁が"愛しい"と言ってくれた涙を流し続けた。


彼と過ごした8年間は、私にとって無駄な8年じゃなかったんだ…
たった一瞬でも、仁に本気で愛されていたという事実に救われた想いがした。


仁がただの一度も口にしなかった言葉…


"愛してる…"


その言葉を聞きたいが為に生きてきた様なものだから…


でも、その喜びはすぐに切なさに変わっていく…


もう私と仁は恋人同士には戻れない。
お互い違う相手と生きて行くと決めたから…


そうだよね?仁…
でも、あなたとの8年間は、私の大切な宝物。
成宮さんと結婚しても、何年、何十年経っても、決して色あせる事ない大切な宝物。


今の仁に私がしてあげられる事は何も無いけど…


仁が言ってくれた様に、幸せになるから…
最高の花嫁姿を見せるから…
だから、仁も安奈さんと幸せになってほしい。


そしていつか、笑いながら過去の話しが出来る様になりたいね。


愛してくれて、有難う…


本当に、本当に、有難う…

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