涙と、残り香を抱きしめて…【完】

突然の香山さんの申し出に驚き、困惑して思わず視線を落とす。


「あの…急に言われても…」

「分かってる。星良ちゃんがピンク・マーベルの社員だという事も承知の上でお願いしてるんだ。

桐子だって、まだ十分指導は出来るだろうし、君はモデルとして仕事をしてくれて構わない。

直ぐに返事をしてくれなくていいから…
考えてみてくれないだろうか?」


なんて答えていいのか分からず、取り合えず「分かりました」とだけ答えると閉まりかけたエレベーターの扉を押さえ香山さんに頭を下げた。


静かに下りて行くエレベーターの壁にもたれ掛り、点滅する数字を複雑な思いで見つめる。


まさか香山さんに、あんな事言われるとは思わなかったなぁ…


でも、私にとって香山さんの誘いは悪い話しではなかった。むしろ光栄な事だ。
あの桐子先生のスクールを手伝いながら、モデルも出来るなんて、夢の様な話し。


でも、私を認め重要なポストを任せてくれたピンク・マーベルには恩義がある。簡単に辞めるワケにはいかない。


それに、ピンク・マーベルを辞めれば仁と離れる事になってしまう。
そんなの嫌だ。


結局は、ソレが一番の理由なんだろうな…なんて思いながら診察時間が過ぎ誰も居なくなった待合室を速足で突っきり玄関を出た。


仁…


久しぶりに雨が止み明るくなった空を見上げると、なんだか無性に仁が恋しくなり、熱いモノが胸に込み上げてくる。


もどかしいこの想いは、仁に届くのだろうか…
また以前の様に私を求めてくれるのだろうか…


あの逞しい腕に抱かれたいと心が疼く。
心だけじゃない…甘く痺れるこの体も仁を求めてる。


仁に…愛されたい…

乱暴に、貪る様に、愛されたい…


でも、そう思う気持ちとは裏腹に、客観的に冷めた眼で見ているもう一人の私が居た。


仁の中で、元カノのマダム凛子の存在がどのくらい大きくなってるのか…
もしかしたら、もう既に私が入り込む余地など無いのかもしれない。


それが分かった時、いったい私はどうすればいいんだろう…

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