涙と、残り香を抱きしめて…【完】
「大丈夫か?」
マンションの前でタクシーを降りようとした私に
先に降りていた成宮さんが手を差し出す。
「平気…」
私はそう言うと
あえてその手を避ける様にタクシーを降りる。
このまま彼の手を握ってしまったら
自分を見失いそうで怖かったから…
マンションの玄関に向かって
2人並んで歩き出すと
一台の車が私達の後ろを通り過ぎ
そして、止まった。
シルバーメタリックのBMW…
静かに下がる運転席のパワーウインドー
「今、帰りか?」
困惑した表情の仁が、私と成宮さんを交互に見てる。
「ええ、島津部長と飲んでたんですよ」
「ほーっ…飲んでたねぇ…
いつからそんなに仲良くなったんだ?」
すると成宮さんは
「キスした仲ですから」
と、仁を挑発する様にほくそ笑む。
「なるほど…」
仁はそれだけ言うと、パワーウインドーを上げ
走り去った。
仁…私と成宮さんの事、疑ってる?
「行こう…」
「あ、うん」
大丈夫…後ろめたい事なんてしてないもの
仁を裏切ってない。
そう自分に言い聞かせながら
エレベーターに乗り込んだ。
パブを出てから、成宮さんとはほとんど会話らしい会話をしていない。
彼はずっと、何かを考えている様だった。
何を考えているんだろう…
無言の密室は、息が詰まりそうなくらい
居心地が悪く
高速で上がっているはずのエレベーターが
とても遅く感じる。
ようやく15階に到着し
扉が開き歩き出した成宮さんの背中に
私は堪らず声を掛けた。
「成宮さん…お願いがあるの…」