天使に逢えた日
「いつもの隙のないかっこいい 香夏子サンも好きやけど」
髪を梳いていた彼の右手が私の頬に添えられた。切れ長の瞳が近づいてきた。
「すっぴんジャージの隙だらけな 香夏子サンも可愛くて・・・」
好きや、と彼が囁いたのは私の唇の上だった。
「ウソ」
「ホント」
「・・・ウソ」
「ホンマやって」
繰り返される不毛で甘やかな言葉のやり取りと同じだけ、何度も触れて離れる甘いキスの合間に私の名を囁く彼の吐息が熱くて、何もかもがどうでもよくなってしまいそうだった。
「あーあ。本当はもうしばらく言わんとこと思てたのになあ」
「どうして?」
「仕事中、俺に構われて動揺する香夏子サンが面白かったから」
「何よ、それ!」
ひどい!と振り上げた手はあっさりと彼に捕まれて抱きしめられた。「好きや 香夏子サン」と耳元で切なく囁かれて体中がかっと熱くなった。
「付き合っている人はいなかったの?」
「もちろん。この二年間 香夏子サンひとすじ!」
「またそんな」
「ホンマやて・・・」
「ずっと貴女しか見てなかった」と小さく呟いて、私を一層強く抱きしめた。広い胸板にぎゅっと押しつけられる軽い圧迫感が彼の思いの強さのようで心地よかった。このままこの心地よさに浸っていたい。この腕の中を誰にも譲りたくない。私だけのものにしたい。そう思った刹那だった。「私も好き」のひと言が自然と口をついて出た。
「誰を?」
「誰って・・・聞く?この状況で」
「ええから、言って」
言わないと離さへんよ、と意地の悪い笑みを浮かべた。言わせたい気持ちはわからないではないけど、それを言うのは何となくこっぱずかしい。うーーん、と眉間を寄せた私を「ホラ早く早く」と急かす彼のとぼけた顔がすごく癪に障ったけれど、ここは素直にならないと彼は私だけのものにならないかもしれない。そうなったら悔やんでも悔やみきれない。それを思えばこれしきの事、なんでもない。
「じゃあ言うね」
「はい どうぞ」
「・・・阿達クンが」
「それダメ。裕二」
はい、もう一回~と楽しげに彼が言った。この人は絶対私で遊んでいる!とうううと歯噛みしたくなったけど、もうこうなったら上等よ!遊ばれてやろうじゃないの、と開き直った。
「ゆ・・・裕二が 好き!大好き!すっごく好きっ」
同僚以上の気持ちを持っていたのは彼だけじゃなかった事に今になってやっと気づいた。気がついたではなくて、気がつかないフリを止めた、が正しいのかもしれない。気になっていただけなんてもんじゃなかった。しがらみや拘りが邪魔をして素直な気持ちを封じ込めていただけ。名字じゃなくて「 香夏子サン」と彼が私を呼ぶのが嬉しかった。触れる指先に、見つめられる視線にときめいた。周りの人たちに「ただの同僚。アシスタントよ」と言うたび、胸がきゅっと苦しくなった。素っ気無さを装えば装うほどやりきれない思いで一杯になった。
けれど本当の気持ちを認めてしまうのが怖かった。可愛げのないお騒がせ女と呼ばれている私だ。好きになってもどうせ片思いで終わる。だったら特別な思いなど抱かなければいいのだ。そうすれば阿達くんとの関係は何ごともなく変わらず穏やかなままでいられる。
でも・・・こんなふうに触れてしまったら心の箍が外れて思いが溢れだしてしまった。もう止まらないし、止められない。私の思いに火をつけたのはあなた。覚悟して。
「よくできました」
にっこり笑った彼に ご褒美、と重ねられた唇が甘く艶めかしく私の唇を食んだ。触れ合うことを戯れに楽しんでいるような軽やかなキスは、何度目かに ちゅ、と音を立ててゆっくりと離れて行った。まるで終わりの合図と言わんばかりに。それが何とも切なくて寂しくてたまらなくなった私は、離れていく唇を追いかけるように彼の首に腕を回して私からキスをした。
だめよ、放してなんてあげない。
戸惑ってかすかに開いた彼の唇に舌を差し入れて絡ませた。すると最初の戸惑いなどなかったかのように応えて絡む彼の舌は艶かしくうごめき、零れる吐息は焼かれてしまうほどに熱かった。その熱に心と身体が蕩けて彼に堕ちていく。
好きよ。大好き。もう放さない。
彼の髪に指を絡ませ、うなじを引き寄せ彼の唇を貪る私とは対照的に、彼は抱いていた私の腰を解放して、両手を小さく上げて「降参」のポーズをした。
だめだめ。まだ「参った」は聞けないの。
そのくせ唇と舌は情熱的に応えてくる彼が喉の奥でクククと笑う気配がした。その余裕の態度が私を煽る。
彼の膝の間を割り自分のそれを挟み込ませ、もう片方の膝から下を彼の足に絡ませて身体を隙間なく密着させると
彼は慌てたように上げた両手を私の頬に添えて、私を引き剥がした。
「香夏子サン、ちょー待って」
「え?」
「積極的なのは大歓迎なんやけど、続きはアレ組み立ててからにしよ?」
少しだけ見上げた彼の視線の先には、資材よろしく転がるベッドの枠があった。
「俺は別にココでもどこでも構わへんけど、やっぱり最初はオーソドックスにベッドで、でしょ?」
「・・・・・・」
そういわれても。「そうね」と答えていいものか悪いものか。答えに窮した私に「ホーラ、 香夏子サンも手伝って」と微笑んで言うと「早くやっつけて続きしよ」と頬にキスをした。そして私の手を引きベッドルームへと向かって歩く彼の背中に一瞬羽が見えたような・・・そんな気がした。
どうやら居たみたいね。天使。
とんちんかんな占いだと思ったけれど意外にすごいモノなのかもしれない。舞い降りてきたのは、背の高い関西弁の天使。想像していた天使とはかなり違うけれど、それは嬉しい誤算。
ねぇ?天使さん。
このベッドが出来上がったら、私を天国へ連れてってくれる?
end
髪を梳いていた彼の右手が私の頬に添えられた。切れ長の瞳が近づいてきた。
「すっぴんジャージの隙だらけな 香夏子サンも可愛くて・・・」
好きや、と彼が囁いたのは私の唇の上だった。
「ウソ」
「ホント」
「・・・ウソ」
「ホンマやって」
繰り返される不毛で甘やかな言葉のやり取りと同じだけ、何度も触れて離れる甘いキスの合間に私の名を囁く彼の吐息が熱くて、何もかもがどうでもよくなってしまいそうだった。
「あーあ。本当はもうしばらく言わんとこと思てたのになあ」
「どうして?」
「仕事中、俺に構われて動揺する香夏子サンが面白かったから」
「何よ、それ!」
ひどい!と振り上げた手はあっさりと彼に捕まれて抱きしめられた。「好きや 香夏子サン」と耳元で切なく囁かれて体中がかっと熱くなった。
「付き合っている人はいなかったの?」
「もちろん。この二年間 香夏子サンひとすじ!」
「またそんな」
「ホンマやて・・・」
「ずっと貴女しか見てなかった」と小さく呟いて、私を一層強く抱きしめた。広い胸板にぎゅっと押しつけられる軽い圧迫感が彼の思いの強さのようで心地よかった。このままこの心地よさに浸っていたい。この腕の中を誰にも譲りたくない。私だけのものにしたい。そう思った刹那だった。「私も好き」のひと言が自然と口をついて出た。
「誰を?」
「誰って・・・聞く?この状況で」
「ええから、言って」
言わないと離さへんよ、と意地の悪い笑みを浮かべた。言わせたい気持ちはわからないではないけど、それを言うのは何となくこっぱずかしい。うーーん、と眉間を寄せた私を「ホラ早く早く」と急かす彼のとぼけた顔がすごく癪に障ったけれど、ここは素直にならないと彼は私だけのものにならないかもしれない。そうなったら悔やんでも悔やみきれない。それを思えばこれしきの事、なんでもない。
「じゃあ言うね」
「はい どうぞ」
「・・・阿達クンが」
「それダメ。裕二」
はい、もう一回~と楽しげに彼が言った。この人は絶対私で遊んでいる!とうううと歯噛みしたくなったけど、もうこうなったら上等よ!遊ばれてやろうじゃないの、と開き直った。
「ゆ・・・裕二が 好き!大好き!すっごく好きっ」
同僚以上の気持ちを持っていたのは彼だけじゃなかった事に今になってやっと気づいた。気がついたではなくて、気がつかないフリを止めた、が正しいのかもしれない。気になっていただけなんてもんじゃなかった。しがらみや拘りが邪魔をして素直な気持ちを封じ込めていただけ。名字じゃなくて「 香夏子サン」と彼が私を呼ぶのが嬉しかった。触れる指先に、見つめられる視線にときめいた。周りの人たちに「ただの同僚。アシスタントよ」と言うたび、胸がきゅっと苦しくなった。素っ気無さを装えば装うほどやりきれない思いで一杯になった。
けれど本当の気持ちを認めてしまうのが怖かった。可愛げのないお騒がせ女と呼ばれている私だ。好きになってもどうせ片思いで終わる。だったら特別な思いなど抱かなければいいのだ。そうすれば阿達くんとの関係は何ごともなく変わらず穏やかなままでいられる。
でも・・・こんなふうに触れてしまったら心の箍が外れて思いが溢れだしてしまった。もう止まらないし、止められない。私の思いに火をつけたのはあなた。覚悟して。
「よくできました」
にっこり笑った彼に ご褒美、と重ねられた唇が甘く艶めかしく私の唇を食んだ。触れ合うことを戯れに楽しんでいるような軽やかなキスは、何度目かに ちゅ、と音を立ててゆっくりと離れて行った。まるで終わりの合図と言わんばかりに。それが何とも切なくて寂しくてたまらなくなった私は、離れていく唇を追いかけるように彼の首に腕を回して私からキスをした。
だめよ、放してなんてあげない。
戸惑ってかすかに開いた彼の唇に舌を差し入れて絡ませた。すると最初の戸惑いなどなかったかのように応えて絡む彼の舌は艶かしくうごめき、零れる吐息は焼かれてしまうほどに熱かった。その熱に心と身体が蕩けて彼に堕ちていく。
好きよ。大好き。もう放さない。
彼の髪に指を絡ませ、うなじを引き寄せ彼の唇を貪る私とは対照的に、彼は抱いていた私の腰を解放して、両手を小さく上げて「降参」のポーズをした。
だめだめ。まだ「参った」は聞けないの。
そのくせ唇と舌は情熱的に応えてくる彼が喉の奥でクククと笑う気配がした。その余裕の態度が私を煽る。
彼の膝の間を割り自分のそれを挟み込ませ、もう片方の膝から下を彼の足に絡ませて身体を隙間なく密着させると
彼は慌てたように上げた両手を私の頬に添えて、私を引き剥がした。
「香夏子サン、ちょー待って」
「え?」
「積極的なのは大歓迎なんやけど、続きはアレ組み立ててからにしよ?」
少しだけ見上げた彼の視線の先には、資材よろしく転がるベッドの枠があった。
「俺は別にココでもどこでも構わへんけど、やっぱり最初はオーソドックスにベッドで、でしょ?」
「・・・・・・」
そういわれても。「そうね」と答えていいものか悪いものか。答えに窮した私に「ホーラ、 香夏子サンも手伝って」と微笑んで言うと「早くやっつけて続きしよ」と頬にキスをした。そして私の手を引きベッドルームへと向かって歩く彼の背中に一瞬羽が見えたような・・・そんな気がした。
どうやら居たみたいね。天使。
とんちんかんな占いだと思ったけれど意外にすごいモノなのかもしれない。舞い降りてきたのは、背の高い関西弁の天使。想像していた天使とはかなり違うけれど、それは嬉しい誤算。
ねぇ?天使さん。
このベッドが出来上がったら、私を天国へ連れてってくれる?
end