北風と太陽と、その他諸々
10月
まさか、そんなはずがない
何かの間違いだ
あり得ない
そう、ぶつぶつと呪文のように呟きながら、気がついたら走り出していた。
しかし、そもそもユエには体力がないので、しばらくすると息が上がって立ち止まってしまった。
はぁはぁと浅い呼吸を繰り返す。
喉がカラカラする。頭の後ろに痛みが走った。
無意識にちゃんと家への道を辿っていた。
憎たらしいほどきれいな秋の夕日に染め上げられた家やビル。
それらが滲んでくる。
あれは…やっぱりそういうことなんだろう。
友紀乃は泣いているように見えた。
子どもの時、例えば、親に怒られたとか晴斗とケンカした時に、泣き場所にしていた理央の胸の中で。
それを優しく宥めている背中にまわされた理央の腕。
10年も前の事なのに、その時自分にも同じ事をしてくれていたことをまだはっきりと思い出せる。
今では泣くようなこともすっかり無くなっていたが、何かあった時には、すぐにあそこに戻れると勝手に思っていた。
いつの間にかあの場所は私のものではなくなっていた。
…当たり前だ。
もう、子どもでもないんだから、ただの幼馴染がいられる場所ではない。
そもそも最初から私の場所なんかじゃなかったんだ。
たまたま空いていたから入れただけ。
どうして何年も気がつかなかったんだろう。
なんて傲慢に自惚れていたのだろう。
友紀乃が何故泣いていたのかは、この際問題ではなかった。
理央が泣かせたにしろそうでないにしろ、2人はそういう関係だからそうなったんだろう。
まさか理央が彼女を作るなんて。
今まで、何人もの女の子が理央に告白をして、玉砕しているのを見てきた(そして、その矛先が私に向けられ、嫌がらせをされたことも幾度かあった)。
理央がどういうつもりで今まで彼女を作らなかったのかは分からないが、すっかり安心していた。
彼女ができたからって、私と幼馴染という関係は何も変わらない。
一緒に学校に行ったり、勉強したりはもう出来ないのかもしれないけど、今まで通り朝食も夕食も一緒に食べるんだろう。
滲んでいた景色がふと鮮明になる。
涙が頬の上を走ってハッとする。
あぁ、そうだ。
今日だって、これから夕食を一緒に食べなければいけない。
私はどんな顔をして話をすれば良い?
「無理だわ…」
後から後からこみ上げる涙を袖で拭い独り言を言うと、ブレザーの右ポケットから携帯を取り出す。
晴斗にご飯を作ってくれとメールする。具合が悪いと曖昧に理由をつけて。
急いで帰れば、2人が帰ってくる前にお風呂に入って部屋に閉じこもれるだろう。
ユエはまた小走りになる。
そうだ…晴斗には何て言えば良いんだろう。2人のことは知っているんだろうか。
てっきり、晴斗が友紀乃と良い感じになっていると思っていた。
友紀乃は生徒会長を、晴斗は副会長をしていたので、学年が違うにも関わらずよく一緒にいた。休みの日にまで会ったりしていたのだ。
しかし、付き合ってるのかと聞けば、そうではないと晴斗は言っていた。
もしかしたら、私が知らないだけで晴斗と理央で友紀乃を巡って何かあったのかもしれない。
だからなかなか付き合おうとしなかったのではないだろうか。
つい先日、また友紀乃とメールをしていた晴斗を理央と2人して見ていて、こっそりと、
「晴斗達、早く付き合っちゃえば良いのにね。」
などと話していたのを思い出す。
その時本当は、既に理央は友紀乃と付き合っていたのだろうか。
私に話を合わせてくれていたのかもしれない。さぞ、嫌な気分だっただろう。
2人とも、今まで私に隠し事なんてしたことなかったのに。
私がいつまでも子どもで、ぼんやりしているから話してくれなかったのか。
このまま、どんどん大人になっていく2人に置いていかれてしまうんだろうか。
私だって年齢は大人になるんだから、いい加減1人でなんでも出来るようにならなきゃいけない。
でも、もしそうなっても、理央が私を見てくれることはなくなる。
そこまで考えたら、家の前だった。
震える手で鍵を開け、2階の自分の部屋に駆け込むと、堰を切ったように嗚咽が漏れ、しばらくしゃくりあげて泣いた。