北風と太陽と、その他諸々
学校から帰ると、いつものようにまずシャワーを浴び、それから夕食を食べに隣の家へ行く。
うちには父親がおらず、母親が働いているので、朝食も夕食もいつも隣の(こちらも両親が仕事で留守がちな)桜井家の双子の兄妹と一緒に摂っていた。
自分の家のように合鍵で鍵を開け、隣の家に勝手に入る。
「あれ。何でお前が作ってんの?」
キッチンに立っているのは、何故か朝食担当の晴斗だった。
「ユエは具合が悪いんだと。急だったから、カレーしか思いつかなかった。」
「具合が悪い?朝は普通だったのに。」
いつもの席に着くと、目の前に大きめの具が入ったカレーとレタスとトマトだけのサラダが置かれた。
「生理痛だってさ。急に来たんじゃないの。」
晴斗はそう言って自分の分もテーブルに運ぶ。
「生理痛?先週もじゃなかったか?」
二つのグラスに麦茶を注ぎながら言うと、晴斗が一瞬動きを止め呆れた顔をする。
「?」
「なんで理央がユエの生理周期を知ってんだ?先週はできなかったのか?」
少し考えたあと、その意味が分かり、思わず赤面して右手で口を押さえる。
「違う。本人がそう言ってたんだ。」
「なんだてっきり…
「あり得ないだろ!」
晴斗がニヤニヤして言うのを遮るが、
「お前がついに我慢ならなくなったのかと思ったよ。」
と、あっさり続きを言われた。
カレーを一口頬張ってから、
「まだギリギリなんとかなってる。」
と、言っておく。
晴斗は、
「彼氏でもないのに、生理だとかそうでないとか知られてるのもどうかと思う。」
と笑いつつ、冷えたトマトを口に入れた。
その時はあまり気にしていなかったが、次の日にようやくユエの様子がおかしいことに気がついた。
土曜日で、朝から部活の練習があったので、朝は会わなかったが、帰ってきてからも夕食の支度はしてあるが、本人は姿を見せない。
晴斗に聞いても、
「さぁ?まだ具合悪いんじゃない?」
と、あまり気にしていない。
日曜日の夜になっても全く部屋を出てこないので、さすがにそわそわしてしまい、
「心配なら、様子見てこれば?」
と晴斗に言われ2階に上がる。
ユエの部屋のドアを叩くと、
「晴斗?何?」
と、中から割合に元気な声が聞こえ、とりあえず安心する。
「いや、違う。オレ。」
「…………。」
何故か何も返事がない。
「ユエ?」
もう一度声をかける。
「…何か用?」
明らかに変わった声色に心臓がぎゅっと縮こまった。
今まで聞いたことのない冷たい声だった。
「…まだ具合悪いのか?」
それに気がつかない振りをする。
「うん。少しね。寝てれば治るから大丈夫。ありがとう。」
明らかに話を終わりにしたがっている。
「何か持って来るか?飲み物とか。」
「今は大丈夫。何かあったらハルに頼むから。」
おい。どういうことだ?
オレには来て欲しくないというような言い方だ。
「ゆ…
「ごめん、もうちょっと寝るね。」
文句を言おうとした瞬間、きっぱりとユエが言い切ったので、何も言えなくなってしまった。
その後は、部屋の中から物音一つしない。
いつものように何の遠慮もなくドアを開けることさえ出来ずに、そのドアに頭を凭れかけさせ、ユエの不可解な態度にただショックを受けていた。
ユエの謎の行動は翌日からも続いた。
朝食に向かうと、いたのはまた晴斗だけ。
「ユエは?まだ寝てるのか?」
おはようとも言わず、2階へ向かおうとすると、晴斗が呆れた様子で、
「ユエは先に行ったっぽいよ。」
と、一言。
「は?」
いつもは布団を剥いでも、ベットから落ちても起きようとしないぐらい朝に弱いユエが、早く起きて学校に行った?
「何で?」
「知らない。オレが起きたらもういなかった。」
晴斗が起きたときには、既に制服も靴もなかったらしい。
「さすがに寝すぎたのかもね。」
寝すぎて早く起きてしまったからって、先に学校に行くことなど、今までに一度もなかった。
部活も委員会もやっていないユエが、わざわざ早く学校に行く用などなかったからだ。
避けられてる?
学校に着くなり、ユエのクラスに向ったが、運悪く、1時限目は移動教室で、ユエどころか教室には数人しか残っていなかった。
昼休みにも行ったがいない。
放課後も既に帰っていた。
何度メールをしても、電話をしても、応答はなかった。
夕食は、ユエが作ったものを晴斗と2人で食べた。
「お前、ユエに何かしたのか?」
さすがに晴斗もようやくおかしいと思ったらしい。
「…してない。」
「じゃあ、何で様子がおかしいんだよ。」
「知らねぇよ、オレが聞きたい。」
つい、声を荒げてしまった。
晴斗はこちらをじっと見たあと、
「そうか。じゃあ、どうしたんだろうな。」
とだけぼそっと呟いた。
火曜日。今日もユエは、先に学校へ行ってしまったが、2時限目の休み時間に偶然ユエを見かけた。
少し距離があったが、迷わず名前を呼ぶ。
声にびっくりした数人がこちらを見たが、1番驚いていたのはユエだった。
大股で歩き、ユエに近づく。
「お前、最近なんでオレを避けてんだよ。」
小声で言ったが、つい語尾を強めてしまった。ユエが明らかに怯えている。
「別に避けてなんか…
「じゃあ、なんで、
そう言いかけた瞬間、授業開始のチャイムが鳴った。
「………。」
「…ごめん、行かないと。」
ユエは振り返って走り出す。
その背中を見送ってから、小さく舌打ちして、とぼとぼと教室に戻った。
嫌な事というのは、本当に重なるものだ。
その日の部活が終わると、友紀乃がスポーツドリンクを持って近づいてきた。
彼女は、生徒会長をしながら、サッカー部のマネージャーもしている。
「和泉くん、お疲れ様。」
と、笑顔でそのスポーツドリンクを渡されたあと、急に真顔になる。
周りに聞こえないように、静かに声をだした。
「今日の夜空いてる?会いたいって言ってるんだけど。」
「…断っちゃダメですか。」
「一回ぐらいいいでしょ。話があるのよ。」
なんとか理由をつけて断りたかったが、逃げ続ける事も出来ないと思い、
「分かりました。」
と、一言返事をした。
「着替えたら裏門で待ってて。迎えにくるから。」
友紀乃はそれだけ言って、さっさと行ってしまう。
大きなため息が出た。