北風と太陽と、その他諸々
目を開けると、時計は23時近かった。

いい加減に理央を避けて生活するのも疲れてしまった。
食事もほとんど喉を通らない。
何も考えないようにひたすら眠る。

晴斗は何も言わないが、心配しているようだし、「ユエはぼんやりしているのが一番正常だ。」といつも言っている絵理奈が心配になるくらい、私はいつも以上にぼんやりしているらしい。

どうしてこんなことをしてしまっているのだろう。
自分でも分からない。

理央は、晴斗と普通に話しているから、いざこざはないのだろう。
素直に友紀乃と付き合っていることを、祝福してあげないといけない。
でも、その事を思うと、心臓が潰れてしまうのではないかと思うくらい、ぎゅうっとなる。

どうしてこんなに辛いのか。
とにかく今は理央を避けるしか、自分を保てない。
でも、ずっとこのままの生活をしているわけにもいかない。
ここ数日、考えないようにしていても、気がついたら考えてしまっている。
早くこの気持ちを忘れるには、どうしたらいいんだろう。


ふと、酷く喉が渇いていることに気が付く。
さすがにこの時間なら、理央は自分の家に戻っているだろうから、下に降りても大丈夫だろう。

なんだか今日は肌寒い。
ベットから起き上がり、スリッパを履くと、椅子にかけてあるカーディガンを羽織って、部屋を出た。

1階は真っ暗だった。
手探りで、キッチンの電気をつけて、コップを出す。冷蔵庫から麦茶を出してそれに注ぐと、そのまま一気にごくごくと喉をならして飲み干した。
ふぅ、と息をつき、もう一杯コップに注ぐ。

冷蔵庫に麦茶を戻すとき、今日作った夕食のおかずが、一人分まるまる残っているのを見つけた。

あれ?

確か、晴斗は帰ってきて部屋にいる音がしていたから、夕食も食べたはずだ。
ということは、理央が食べていない?
そう思ったとき、玄関が開く音がした。

父親か母親が帰って来たのだろうか。

「お母さん?」

コップをテーブルに置くと、部屋から顔を出し、確かめる。

「ユエ?」

「!!」

それは、父親でも母親でもなく、理央だった。

何故かまだ制服のままだ。
なんだか様子がおかしい。
理央は靴を脱ぐと、ぼんやりしながら部屋に入ってきた。
どうしていいか分からず、ただゆっくり後ずさる。

「どうして避けるんだよ。」

理央が眉根を寄せて、滅多に見せない悲しそうな顔をした。
思わず足を止めると、理央が手を伸ばした。その掌が、頬に触れた。
とても冷たい手なのに、顔がカッと熱くなる。

「ユエ…」

聞いたことのない甘い声色で名前を呼ばれたかと思うと、急に視界が真っ暗になった。




抱きしめられたことに気がつくまで、数秒かかった。
耳元ではぁ…と、息の漏れる音がする。

背中がぞくっと震え、全身の血が粟立つような感覚が走る。
外のひんやりとした空気を吸った、理央の匂いのする制服。

そしてやっとよぎったあの夕方の教室での光景。

同じことをされている。

「い、いやっ…!」

そう思った瞬間には叫んでいた。
力いっぱいに理央の胸を押し返すと、理央はぐらっと後ろに下がった。
咄嗟に離れる。

「ゆえ…

呆然とする理央の見開いた目を見た瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

「ユエ、ごめん、つい…」

理央がオロオロとしながらまた近づいてこようとした時、

「どうした?」

冷静な晴斗の声がした。

涙をこぼす私を見ると、理央を一瞥して、ゆっくり近づいてくる。

「お前、何した?」

あぁ、怒ってる。
晴斗の滅多に聞かない低い声。
私はその場にしゃがみ込み、顔を伏せる。
晴斗がそっと私の頭に手を置いた。

「大丈夫か?」

私にはいつもの声。

「晴斗、オレ…」

理央はまだ呆然としながら、何かを言おうとしているが、なかなか言葉が出てこないようだった。
晴斗は大きくため息をつく。

「とりあえず、今日は帰ってくれ。」

「でも、

「いいから帰れよ。」

大きな声ではなかったが、絶対的な言い方だった。

「…ごめん。」

理央はそれだけ言うと、玄関を出て行く。
その姿が消えると、やっと涙が収まった。

「大丈夫か?」

もう一度、晴斗は聞いた。

「うん、ありがとう。」

俯きながらそう言う。

「何か言いたいなら聞くし、言いたくないなら聞かないけど。」

晴斗は本当に優しいと思う。

「…今、何を話して良いか分からない。」

そう、ぼそっと言うと、晴斗はまた頭を撫でた。

「じゃあ今日は寝よう。もう遅いし。」

その言葉に返事は返さず、ただ頷いた。
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