ノータイトルストーリー
わざわざ東京まで来て、「意識の宇宙旅行をしていました」なんて冗談でも報告出来ない…

「はぁあ」と溜め息をついた後、ボーっとした頭のまま、本社を後にした。

しかし、駅に向かうが相変わらずの人の多さに滅入る。

一体どこから湧いて出たのかと頭を抱えたくなる。

人混みに紛れて歩いているとちっぽけな自分が数え切れないほど多い。

その沢山の『個』に擦り潰されて、消えてしまいそうな感覚になり少しゾッとした。

また逆に誰かを擦り潰してしまっていないか不安にもなった。

駅に着き、電車を待つ人々の行列がまるでテレビで見た、ブリザードに耐える為に身を寄せ合っているペンギンの群れのようで滑稽な姿に見えた。

きっと、某カードのペンギンさんマークにはそんな姿を皮肉っているのだろうか?などと一人納得してしまう。

そして、少しためらいながらもその群に加わり、やがて電車が来るとギュウギュウとその中に押し込まれた。

やっとの思いで実家のある駅にたどり着いた頃にはクタクタになっていた。

実家まで後少しで到着だというのが、せめてもの救いだった。

しかし、昔からすると駅前も随分変わっていた。

昔、住んでいた頃には、駅前のビルには本屋さん、喫茶店、レストラン、洋服屋さんなどが入っていて賑わっていた。

不況のせいか、テナント募集で埋め尽くされて、ついには、取り壊しが決定したと聞いている。

なんだか、とても寂しい気持ちになった。

そんな事を考えながら歩いているうちに、実家に程なく到着したのだった。

玄関横の荒れたプランターを横目に「はぁ…」と溜め息を付きながらも、ドアノブに手をかけ、扉を開く。

「ただいま~」


今日は基兄ぃが久々に帰ってくるので、献立はカレーだろう

対抗するわけではないけども、甘いものに目がないのを知っている。

だから、会社の近くで美味しいと少し有名なシュークリームを買った。

前に一度食べた事があるが噂通り、これがなかなか美味しかった。

外はさっくりとした、パイ生地風の作りで、中にはトロッとしたカスタードクリームと生クリームが入っている。

これがまたGoodな訳なのだ!

1日限定2000個ってこともあり、昼休みに並んで買ったが、思ったよりは行列は大したことなかった(笑)

並んでいる途中に私は蟻かしらなどと一人で物思いにふける。

よく考えてみれば、『限定』という言葉に、してやられている気がした。

だけど、私、日本人だし!

そういう言葉に弱くて当然だし!!

そうじゃなくても食べさたいし!!!

となんだか訳の分からない意地を張った。

勿論、言葉に出すわけもなく私の心の中でだ。

もし、声に出してたら、人としてアウトというか、とっても痛い子ですからね…

と、まぁ無事に買って会社に戻り冷蔵庫へ入れてと…

あとは、終業のベルが鳴るのを待つだけだ(笑)

今日もこれと言って有益な情報を得ることは出来なかった。

そもそも、新聞社とはいうものの、なかなかその手の情報は入って来ない。

しかし、悲しい事件は日々どこかで起こっている。

これは紛れもない事実で誰かが自分の子供を虐待の末に殺してしまったとか。

またその逆に抑圧されてきたものが一気に爆発して親を殺す。

そんな呪縛から逃れられない人も世の中にはいる。

虐待を受けて育った人間が親となり、愛し方、愛され方を知らないが故に同じ事を繰り返す負の連鎖もその一つなのだろう…

世の中の不条理…それを糧として生きているのはなんだか、気分がパッとしないのは当然だ。

しかし、今日はもう仕事モードではなくなっていた。

そう言えば、小林くんはどうしたのかなぁ…

昨日の話がまだ頭の中で引っかかっていたが、生憎、彼は外回りでいない。

上手くいくといいなぁ…

彼のように希望を持ち前を向いている人間が少し羨ましくもあった。

今以下の事にはならない筈だから…

そんな事を考えながら就業時間を迎えた。

真っ先に冷蔵庫に例のシュークリームを回収に向かい、いつものように家路を辿る。


気が付くと周りは真っ暗で目を開けているのか閉じているのか分からない…

本当はまだ寝っているのかどうかも分からないが頭痛だけが感覚として認識出来る…

そもそも夢の中でない証拠などないのだ。

自分自身が誰で何者なのかすらよく分からなくなっいた…

じわじわと目が慣れて、周りが見え始めてきた。

そこで起き上がろうと手を動かすとガサガサとし、自分がゴミの城の頭のいかれた主であることを認識した。

目眩がして、胸がムカムカとして気分が悪い。

水を飲もうと蛇口を捻るとドバドバと赤茶けた錆水が溢れ出した。

それがまるで鮮血のように見え、鉄の匂いで吐き気を催し、その場で黄色い胃液を吐き出した。

その中にウジ虫のようなものが蠢いているように感じ、体を頭を掻き毟り、のたうち回り、ゴミの城を飛び出した。

外へ出ると誰かに射るような視線に恐怖を感じ、怯えながら逃げ惑う。

人気のない公園に身を潜め、不安を押さえ込もうとする。

爪を噛み、身を縮めて、息を殺そうとするが鼻息が『ふぅふぅ』と耳に響く。

辺りに人の気配らしきものを感じる度に怯え、ガタガタと震える。

いっそ飛び出して殺してしまおうとも考えたが、誘き出す為の罠かも知れない…

この暗闇が恐ろしい…
恐ろしいが、暗闇に身を隠すほか考えられなかった。

『僕』が『俺』や『彼』を作ったのではなく、『俺』が『僕』や『彼』という存在達を作り上げ、責任を押し付けていたのだ。

この逃れようない恐怖の中で今、存在しているのは、また怯えているのは紛れもなく『俺』であるのだから…

誰でも良いから助けてくれ、お願いだ…


車から降りて、玄関を開けると見慣れない靴が目に入ってきた。

本屋によったせいで、基に迎えられることになってしまったようだ。

部屋に入るとスプーンをくわえた基が「おふぁふぇひ」と言って、手をかざす。

なんともまぁ相変わらずだ(笑)

「おかえり」と認識し、「ただいま」と応える。

恵美が二階からパタパタと降りてきて「お父さん、遅いよ~」と文句を言われる。

ここは素直に「悪かったな…」と我ながら大人な対応をする。

台所からは「あなたぁ?カレーだけど良い?」と妻の声が聞こえてきた。

予想通りだが良いかと聞かれると「今から他に何か作れるのかい?」とツッコミたくなるが、ここも一つ「あぁ構わんよ」と受け流す。大人だ…

「まぁそんなとこに立ってないで座りなよ」と基が言う。

どちらが家の主か分からなくなってしまった…

テーブルを囲み、カレーライスを家族で食べながら久々の団欒を満喫する。

それぞれが「あぁだ、こぉだ」と好き勝手に話が弾んだ。

食後に恵美が胸を張って「これワタシが買ってきたのよ!」と出てきたシュークリームを食べる。

「おっ!なかなか美味いじゃないか?」

「まぁほんと!美味しいわね~これ」

「でしょ~?並んだんだから~」とあたかも自分でこしらえたかのように、鼻を高くしている。

基もサクサクと口にし、「んっ!んまいっ」と喜んでいる。

そう言えば、何も用意してないのは、俺だけだな…まぁ、一家の主だし、やむなしだが

そんな久々の団欒を経て、今日も一日が終わろうとしていた…

「ドンドンドン!」とドアがけたたましく叩かれ「あげろぉ!!!」と奇声が発せられた。

その直後に「ガッシャーン」とガラスの割れる音が響くまでは家族の誰もが、穏やかな気持ちで一日を締めくくれると思い込んでいた…


光の下にいつも決まって影が生まれる。

もしかすれば、その影が光を飲み込んでしまうかもしれない。

暗闇に包まれ、夜が降りてくるそんな状態になってしまう。

人はそれを畏れ、火を灯し光を作る。

光に目を奪われ、安心してしまい、気づかないかもしれない。

しかし、足元には必ず影が生まれているのだ。

船の修理には暫くの時間が必要なようだ。

思っていたよりも、被害は大きかったようだ。

波止場で傷んだ船を見ながらたばこに火を付ける。

考えてみれば、沢山の海をよくここまでもってくれた事とまたここまで運び、新たな出会いを与えてくれた事に感謝する。

影や暗闇を畏れ、拒むのではなく、今の私のように、ゆっくりと受け入れ、自分自身を見つめ直すのも良いだろう。

暗闇の中では、一人になるのだし、影だって自分自身を映し出したモノなのだから。

たばこを一息吸う度にボゥと火が明るく灯り、影を生む、影がないものなどこの世には存在しないのだ。

暗闇や影を受け入れ、何を思い、何をすれば良いのか?

その答えに正解はないのかもしれない。

答える必要もないのかもしれない。

しかし、受け入れる事にこそ意味があるのだと、私は思う。

自分自身を映す影も他の誰かを映す影も全ては、暗闇の中で溶け合い、一つになるのだから。

暗闇は無数の『個』の影の集合体であり、自分自身もその中にいる事を忘れないで欲しい。

今日は少し話過ぎたようだ…

たばこを消すと何もない暗闇に包まれ、波の音と生暖かいの夜風が心地よく頬を撫でる。

私はもう少しここでゆっくりとしていく事にする。

それではまた明日…
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