結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】


「この花を知っているか ゆうすげの花といって 一夜だけ咲く花だそうだ 

夕方咲き出して朝方しぼんでしまう儚い花だ」


「桐原のおじいさんが写した写真だよね 確か書斎に飾ってあった」


「当時 私との結婚を反対されていた朋代が 

人知れず咲く花が自分のようだと その花を見て言ったそうだ 

桐原のお母さんからそれを聞いたとき体が震えたよ 

私を思ってくれる女性に 私もこの人となら

何もかも分け合っていけると思えた人に そんな感情を抱かせていたとは 

本当に情けなくて 我が身の至らなさを痛感した 

小夜子との関係を清算していないことが ずっとひっかかっていたのだが

それではいけない 立場をはっきりとさせ 

誠意を持って許しをもらいに行こうと決めた」



少し震えた父の声が 次第に落ち着いてきて 最後は言い聞かせるように

ハッキリと僕に向かって響いてきた

激しい感情を露わにする人ではない この父が 母と朋代さんの間で大きく

揺さぶられ 悩み苦しんだ姿が想像される

初めて父の口から聞いた真実の言葉に 僕は父の真の姿を見たような気がした



「賢吾……私はおまえに許されたのだろうか……」


「許すとか許さないとか そんなの 僕はただ 

お父さんたちのことを 受け入れただけだよ」


「賢吾にそんな思いをさせていたとは……本当にすまなかった 

それと……昔の気持ちを思い出させてくれた ありがとう」



僕は大きく首を振って そんなことはないと父に微笑んだ

部屋を出ようとして 思い出したことがあり振り返った



「お父さん 僕も来年親父になるよ」


「そうなのか」



喜びを隠せない顔で 「いつなんだ」 と問いかけた父のもとに葉月たちが

入ってきて あとで話すとだけ答え 書斎をでて実咲の待つ部屋に急いだ



「うまくいったみたいね お兄ちゃんとしては寂しいでしょう」


「そんなことないさ」



振り向いた実咲の体を 後ろからそっと手を回し抱き寄せた



「ねぇ これ見て 東京のお義母さんからメールが来たの 

雑誌に妊婦の食生活の記事を連載するんだって 

お義父さんの編集らしいわよ」



実咲は 遠野の父も 母が再々婚した相手も 「お義父さん」 と呼んでいる

僕は相変わらず 「浩二さん」 だが……



「お袋らしいや なんでも仕事に結びつける 

孫が生まれたら離乳食とかの本かもしれないぞ」


「嬉しいのよ いままで何にもおっしゃらなかったけど 待ってらしたみたい」



夕暮れだった夜空は いつの間にか墨をたらしたような闇になり 

雲陰からぼんやりと月の明かりがもれていたが ほどなく雲から月が姿を見せた

この月明かりを どこかで見たような月だったと思い出しかけていた

そうだ 父のすべてを受け入れようと決心したときに見えた月だ

実咲と一緒に暮らそうと決めた あのときの……

冴え冴えとした空に輝き 僕の心を浄化させてくれた光だった

あの夜決めたことが 今 こうして形になっている

変わらぬ輝きで この先も僕らを照らし続けてくれるだろう

燦然と輝く月を見ながら 実咲を抱く手に少しだけ力を入れた





                   ・・・ 終 ・・・



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