結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】


実咲がバイトをしている書店の閉店まで 書店近くの公園で待つことにした

遊具はブランコと滑り台だけの小さな公園で 砂場には子どもの忘れ物か 

スコップがひとつ転がっていた

手に取ると スコップについた砂がハラハラとこぼれ 湿った砂の匂いがした


小さい頃から母親は仕事で帰りが遅く 公園に迎えに来てくれたのはいつも

祖母だった

単身赴任でたまにしか帰ってこない父親と遊んだ記憶はあまりなく 

休日の相手はいつも祖父だった


他の子たちが親といるのが羨ましく けれど 祖父母が一緒なのが恥ずかしくて

迎えにこなくていいと祖母に言い

外で遊ぶより家の中がいいからと祖父の相手を断った


砂場に残されたスコップが 小さい頃の僕に見えた

誰かと一緒にいたいのに 一人が好きなんだと言っていたあの頃

寂しいのに 祖父母に心配をかけたくなくて 本当のことが言えなかった遠い昔

実咲が離れていったら またあの頃の僕に戻ってしまいそうだった



自転車を押した彼女が公園に姿を見せた

急にどうしたの? と 迷惑そうな顔にも見え つい感情的になった



「なんで黙ってた 実家に帰るって聞いてない」


「もう決めたの 賢吾には関係ない」


「俺には関係ないのか そうなんだ やっぱりな……」


「何がやっぱりなの? 勝手に決めないでよ」


「勝手に決めたのはそっちじゃないか!」


「私が決めちゃいけないの? なんでも賢吾に相談しなきゃいけないの? 

どうしてよ」



大方の予想はついていた もっとも考えたくなかったことだけれど……

僕のことを親に話したんだろう 僕との付き合いをやめろと反対されて 

地元に帰ってこいと言われたに違いない



「親の言うとおりにすればいいさ 実咲も同じなんだ 

俺のことをわかったような振りをしてただけじゃん」


「何言ってるの? 賢吾には関係ないって言ってるでしょう」


「そうだよな そうやってみんな離れていくんだ 俺のことなんて 

その程度だったんだ」


「子どもみたいなこと言わないでよ 賢吾のこと好きだけど 

そんな賢吾は嫌い」


「あぁ 嫌いでいいさ 勝手にすればいい」


「何にもわかってないくせに もういい! 帰る」



実咲は僕に背を向けて 押していた自転車に乗ると ペダルを勢いよく

漕ぎ出した

僕も振り向き乗せず 反対側へと数歩進んだとき うしろから実咲の

大きな声が聞こえてきた



「やめてー いやぁー」



弾けたように振り向くと バイクに乗った男が実咲のバッグを手にこっちに

向かっている



「賢吾お願い バッグ 大事なの!」



歩道に乗り上げたバイクはそれほどスピードを出していない

僕の横をすり抜けようとしたとき バイクの男の手からバッグを奪い取った


覚えているのはそこまで……

頭に強い衝撃を感じたのを最後に目の前に暗闇が現れ 僕の記憶は 

そこで途切れた




< 32 / 102 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop