結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】
職場で父親が事故に遭い それがもとで手に後遺症が残ったのだそうだ
実習中だった彼女は実家にも帰れず 母親からの電話の知らせで
たいしたことはないので 心配しなくてよいという言葉を信じていたが
実習終了後帰省してみると 伝え聞いた以上のひどい怪我に驚いたそうだ
「入院はそんなに長くなかったの だから心配ないと思ってた
でもね違ったの 私に心配させないようにしてたみたい
お母さん 仕事もあるのに一人で全部こなしてた」
「……知らなかった お互い忙しくて連絡もしてなかった頃だよな」
「私も冬休みで帰るまで知らなかったの
お父さんの手 前みたいには動かないんだって 仕事も休職してる
復帰は無理かもって……」
「お母さんを助けるために地元に帰ること 決めたんだ」
「うん……今年妹が進学で家を出ちゃうし
私が帰ったら 少しは助けてあげられるかなと思って……
黙って決めてごめん でも言えなくて」
これまで 実咲にはいろんなことを聞いてもらった
僕が黙っていても 何かあったの? と僕の変化にすぐ気がついて
声をかけてくれた
肯定も否定もせず 黙って聞いて ポツンともらす実咲の言葉に何度も
救われてきた
それなのに 僕ときたら 彼女の変わった様子に気がつくこともなく
忙しさにまかせて気にも留めなかった
こうして思い返せば 実咲が休み明けに 物憂げにしていた頃があったと
思い当たる
会っていても会話が途切れがちで どうしたのかと聞くと 実習のレポートが
大変だったのよと 歯切れの悪い返事が返ってきたことがあった
あれは僕にサインを送っていたのだろう 今頃気がつくなんて……
僕が家庭の事情を話せなかったように 実咲も 父親の怪我と失職は僕に
話しづらかったのかもしれない
実咲が一人で悩んで 僕にも言えなくて苦しい思いをしてたのに
そんな彼女に向かって 俺のことなんてどうでもいいんだなどと
口走った自分が 今更ながら情けなくなっていた
まったく これじゃ駄々をこねる子どもと変わりないじゃないか
「俺のほうこそごめん……この前言ったこと 自分のことばかり考えてた
あぁ 俺ってガキみたいだな」
「そんなところが賢吾らしいんじゃない」
「そお?」
「そうよ」
互いに顔を見合わせて ふふっと笑いがでた
「まだ嫌い?」
「えっ?」
「嫌いだって俺に言ったじゃん」
「あのときはつい……そんなこと……ない」
検温の時刻にはまだ時間がありそうだと 壁の時計で確認してから
実咲の腕を引寄せた
ここ病院よ だめだってば と言葉では抵抗しながら 体が遠慮がちに胸に
寄り添ってきた
抱きしめるだけで充分だと思っていたのに 予想もしない実咲からのキスに
僕は柄にもなく熱くなっていた