結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】
今夜は編集者と打ち合わせがあるから その前に食事をしようということで
事務所近くの和食の店に入った
「事務所に来るなんて珍しいじゃない
まさかお小遣いが欲しいとかじゃないでしょうね」
「そんなんじゃないよ 近くまできたから
たまには働く姿を見ておこうと思ってさ」
「ふぅん まぁ理由はなんでもいいわ こうして食事をするのは久しぶりね
せっかく帰ってきたのに忙しくて……ゆっくり話もできなくてごめんなさいね
ところで就職どうするの 博物館なんて採用あるの?」
「厳しいけど まったくないわけじゃないよ」
大学で東京を離れるときはずい分反対したが 就職に関しては何も口を
挟んでこない
僕のしたいようにさせようと思っているのか それとも 何を言っても
聞かないだろうと諦めているのだろうか
「こっちで採用がないか探してるとこなんだ」
「そうなの でも賢吾が納得できるところにしなさい
あとで後悔しないように」
「わかってる」
母はそう言ってくれたが 僕は東京に帰ってこようと決めていた
長男だからとか一人っ子だからとか そんな気負いはないが
なんとなく母親の近くにいたほうがいいだろうと思っていた
その思いは仲村さんの話を聞いてから一層強くなった
父には新しい家庭があるが 母にとっては僕だけが家族なのだ
事故後は今までになく連絡をくれ ずいぶん心配を掛けた
近くにいるだけで 親を安心させられるのかもしれないとは あの事故で
学んだことだ
「体は本当に何ともないの? 頭は?」
「大丈夫だって 定期検査もしてる」
「ならいいけど……実咲ちゃんから聞いてはいたんだけど
顔を見るまでは心配で」
「実咲から聞いたって?」
「私たちメル友なのよ アナタの事故のあとアドレスを教えてもらったの」
「えーっ 俺そんなの知らない なんで実咲となんだよ」
「いいじゃない だって賢吾に聞いても詳しい話しをしてくれないし
その点女の子はいいわね いろんなことを話してくれるもの」
実咲と母親が連絡を取り合っていたなんて初耳だった
退院の日 二人でマンションに行ったらしいから そのときアドレスを
聞いたのだろう
僕の体や生活を心配をしてのことだろうが 僕だけが知らなかったことに
無性に腹が立った
のけ者にされたような気分になり しばらく黙って箸を運んだ