結婚白書Ⅳ 【風のプリズム】
就職活動のため 今年は東京に帰る機会が多かった
小学校までは お兄ちゃんに会いたい と可愛いことを言ってくれていた葉月も
今は学校の友達といたほうが楽しいらしく
帰省の折 父の家に行って僕の顔を見ても またこっちに帰ってきたの?
なんて憎たらしいことを言って さっさと出かけてしまうのだった
そんな僕を見かねたわけでもないのだろうが 一緒に出掛けようと
珍しく父から声がかかった
どこに行くのかと尋ねたが 博物館だと言うだけで詳しいことを語ろうとしない
採用試験を受ける先の下見や視察のつもりだろうか などと見当をつけて
黙って父に同行することにした
「小さい頃 何度か連れて来てもらったね」
「賢吾は あの頃から古い物に興味があったようだ
ひとところにじっと立って動かなかった」
「覚えてる 昔はどんな世界だったんだろうなんて考え出すと
周りの音も聞こえなくなるんだ
熱中しすぎて置いていかれたこともあったね」
「親父の血をひいたんだろう 賢吾の進学先を聞いて
誰よりも喜んでいたからな」
「うん だからって おじいさんの大事なもの 僕ばっかりもらったけど
本当に良かったのかな」
「いいさ 雅人たちに譲っても 興味のない物だけに大事にしない
そう姉にも言われている」
雅人と言うのは僕の従兄弟で 小さい頃はよく遊んだが 従兄弟たちも社会人に
なり 滅多に会うことはなかった
博物館という懐かしい場所に来たからだろうか 父との会話はスムーズで
今までどことなく話しづらいこともあったのに今日はそんなこともなく
父への問いかけも難なくできていた
「遠野部長じゃありませんか」
「こんにちは 先日はありがとうございました」
父の肩越しに声をかけた人物は 恰幅のいい初老の男性で 父を見ると
親しそうに話しかけてきた
僕がその人に一礼すると こちらが息子さんですかと 目を細めた様子に
この人が父の言っていた評議員かと思われた
「今日は委員会でした そうだ 館長もおりますから ちょうど良い機会だ
紹介しますよ」
僕らの返事も待たず 坂田と名乗ったその人は小走りに奥へと行くと
一人の男性を伴って帰ってきた
博物館の館長なんて滅多に会うことはないのだろうが 一度だけ校外学習で
訪れたとき 挨拶に出てきた人が館長だったと記憶している
僕の思い出では そのときの館長は子供達に優しく話しかけ 人の良さそうな
人物だったが 目の前にいる現在の館長は 目の鋭い端正な顔が印象的だった
父とは初対面だったらしく 互いに深々とお辞儀をするのを一歩下がった
場所から眺めていた