もっと美味しい時間
「前にね、東堂さんからアルバイトを募集してないかって聞かれたの。でもご覧のとおり小さなお店でしょ。私たち夫婦で間に合ってるからって、お断りしたんだけど……」
初めて聞く話だ。
慶太郎さん、何だかんだ言ってても私が働きたいって言ってたこと、気にしてくれてたなんて。
「まだお仕事は、探してみえる?」
「はい。先日こちらに引っ越してきたんですけど、本格的に探そうかと思っていたところでして」
「そうだったの! だったらここで働いてみる気ない?」
「えっ? でも間に合ってるって……」
「あの時は間に合っていたんだけど。私がちょっと足を痛めてしまってね」
そう言うと奥さんが、カウンターからヒョコっと左足を出してみせた。そこには膝から足首にかけて、グルグルに包帯が巻いてあった。
「階段で足を踏み外してしまって」
「もう若くないし、そろそろ楽をさせてあげたくてね。どうだろう、うちで働いてくれないだろうか?」
旦那さんが私の顔を、じっと見つめた。
そんな熱い眼差しで見つめられると、ちょっと照れてしまうじゃない。
旦那さん、父親と同じくらいの歳だと思うけど、スリムでイケメンさんだよね。
……って私っ! 何考えてんのっ!?
頭をブルブル振る邪念を飛ばすと、大きく深呼吸した。
「私でいいんでしょうか?」
「東堂さん推薦のお嬢さんだし、婚約者なんでしょ?」
そこまで知ってるんだ。慶太郎さん、どこまで話してるんだか……。
今晩帰って来たら、問い詰めてやんなくっちゃ。
「は、はい。私でお役に立てるか分からないですけど、よろしくお願いします」
そして私のアルバイト先は、ご夫婦と美和先輩の温かい拍手に包まれ、このパン屋さんに決定してしまった。