地下世界の謀略
ーーー呼吸をするように、自然に眠りについてしまったアルトに毛布をかけ、月は部屋をゆっくりと出た。
扉の前で出迎えてくれたのは、理貴さんの優しい微笑みだった。その優しさに、笑って返せる自信が今はなかった。
「理貴さん」
「…寝てしまったのかい?」
「はい。ぐっすり。まあ、でも…アルトのことだから出発前には起きると思います」
上手く笑えない私を咎めないでいてくれる、ありがたい対応。いつもそう、理貴さんは言葉にせず私の気持ちに寄り添ってくれようとする。
(そんな大人に、なりたいなぁ)
足元ばかり見ている私に理貴さんはまた、温かいコーヒーを差し出した。手にしたそれは、じんわりと体の芯を熱くする。
あんなに大量の情報を頭に入れたからだろうか、余韻のように声が震えていた。
「……別にいいんです」
「月ちゃん、」
「アルトが焦がれて堪らない人が、生きていてくれればいいんです」
私はここの部外者だから。
安楽街に着くまでの、薄い関係だと何度も言葉を飲み込んで。
「理貴さん。それなのに……どうしてなんでしょうか、」
ーーー音もなく落ちた其れは、掬えずに。
ただ床にシミを残したその真実に、理貴さんは目を見開いていた。
「っ堪らないんですよ、なんでか、分かんないですけど」
このぐちゃぐちゃな感情を教えて。
「アルトの孤独を知りたかったくせに…っ、知ったら苦しくて、」
「…うん」
「アルトの苦しみが私には重すぎるのに」
「……」
「っ一緒に背負いたかったって…思っちゃったんです、」
ーーー嗚呼。
哀れで愚かな感情が湧き上がって止まらない。
誰かこの醜い感情を殺して。
(余計な事を口走る前に)
「何もおかしくない」
「……っ、」
「おかしくなんかないよ」
「おかしいよっ……」
「おかしくないんだよ。月ちゃん、君の気持ちは、君のものだよ」
誰のせいでもない。
押し殺す必要もない。
君だけの大切な、彼にとって必要な、優しい感情だ。
理貴さんがゆっくりと私を抱擁する。
静かな廊下で、時間が感じられないこの地下世界で、彼の温もりが地上に置いてきた家族のそれに余りにも似ているから。自然と両目を閉じることができた。
身に余るほどの、暖かさだった。
「ありがとうございます」
「いいや。私にはこれしかできないから」
「そんなことないです。…これで」
(この感情を、奥深くに堕とすことができます)
それはこの世界で、必要の無い感情なので。