生前の君に捧ぐ、最初で最後の物語
「太一郎さん、やっと来てくれたのですね」

どれだけ待ったのかは分からないが、聞き覚えのある声が少しだけ離れた所から聞こえた。
徐々に大きくなる足音。私はその声と音の方向を向き、佐久子を待った。
私から近づくことが出来れば良かったのだが、立つことで精一杯で動くことも出来ず。

「そろそろ書き上げて下さる頃かと思いまして、ふた月前から毎日此処に来たのです」

私に微笑む佐久子。よく考えてみれば、佐久子は私ではなく物語を待っていた。
だからなのだろうか。それに応えて微笑み返すことが私には出来なかった。

「お待たせ、してしまいました、ね。それは、すみません、でし、た」

僅かな会話だったのに、その時間は長くも短くも感じただろう。この辺りの記憶を私は持っていない。
身体を蝕む病が時間とともに侵食し、遂には意識を手放すことになったのだから。
ただでさえ一通りの少ない川だ。助けに来る人間なんてそうそういない。
だから佐久子が来たと分かった時は安心した。それだけは覚えている。
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