金色の陽と透き通った青空
第10話 献身
「横抱きと、おんぶと、車イスとどれがいい?」
無邪気な顔をして、この愚かな夫はそう言った。
「えっ……!!」
この話しは点滴が終って家に帰れる事になったので、病院の外に駐車してある車までどうやって行くかという話しである。
「歩けますから大丈夫です」
そう言って杏樹は起き上がったが、平衡感覚が麻痺してしまったのか?なんだかフラフラする……。
「お……おい……。無理して倒れて怪我したらどうするんだ!! 決められないのなら俺が……」
そ……その手つきは横抱き!!
「く……車イスにします」
触られそうになったので、慌てて即答した。お任せしたらとんでもない事になりそうだわ!! 慌てて一番マシな車イスをセレクトした。
(ああ……まったく……。風邪をひいた自分を呪いたい気分だわ……)
だけど、車イスをセレクトしたのにもかかわらず、ヒョイと横抱きで持ち上げられてしまい、結局ベッドから車イスに移るのに、一番セレクトしたくなかった横抱きをされてしまった。
「キャッ!!」
つい悲鳴を上げてしまう……。
「落とさないから大丈夫……」
(違うんです...そんなことされると困るんです!!)
軽々と智弘に横抱きにされて、車イスに乗せられて……なんだか敗北感のようなモヤモヤした気持ちを感じた。
夫の逞しい腕と頬に当たる夫の厚く固い筋肉質な胸板に、ふんわりと香る品の良い心地よいコロンの香りに少しドキッとした。
ああ……そんな自分が恨めしい……。彼は確かにモデル級の素敵な容姿とプロポーションを持ってるし、頭脳明晰だと思うけれど……。人間的に大きな欠陥を持ってるわ!! それにこの私のザマはなんて……恥ずかしいっ!! 恥ずかしすぎるっ……。
智弘が車イスを押し、病院の注射室から廊下に出たら、他の患者さんや付き添いの人が皆、こっちを注目してる気がする……。車イスだなんて凄く大袈裟な感じがするし、風邪でふらついて歩けないなんて情けないし……車イスを押してる人物が元夫……いえ……未だに夫だなんて……。
駐車場に着くと、サンルーフ付きの白いセダンの外車が置かれていた。夫の車に乗るのは初めてだし、免許を持ってて、運転出来る事でさえ知らなかった。
(この車だと1千万〜2千万クラスだわね。苦労知らずのお坊ちゃまの彼が、会社を飛び出して何が出来るというの? まさか……ずっと居座り続けて私の安住の楽園でヒモ生活なんてならないでしょうね……)
風邪のせいか、今考えた恐ろしい悪夢のせいか……ゾクゾクっと寒気がして身震いした。
(風邪が直ったら追い出そう……絶対に!!)
「さっ……乗ろう」
智弘から介助されながら、車の助手席に乗り込んだ。ご丁寧にシートベルトまでつけてくれて、楽なように車のリクライニングシートを倒してくれた。
(随分と気配りが利くようになったのね……本当に昔と大違い……)
車を発進させて少ししてから、杏樹が聞いた。
「ここまで車で? 1人で?」
「ああ……。ずっと行きたいと思ってて、前々からナビにインプットしておいたんだ……」
(へぇ……そうなんだ……。お店のHPを見たら場所が分るものね……)
「杏樹に会えて、凄く嬉しい。ずっと会いたかったよ」
含羞みながら、柔らかな顔をして微笑む元夫……。
(いえいえ……。私は歓迎してませんから。絶対勘違いしてませんか? あなたの事許してませんから……)
これ以上、智弘がどんな頭の痛くなる言葉を言って来るかと思うと、末恐ろしくなって、眠ったふりを決め込んだ。
だけどそのうち体が疲れてて、体調も悪くて、本当に寝てしまった。気がついたら自分のベッドの中にいた。頭を動かしたらチャポンと水の音がして、枕の上に、タオルに包まれた氷まくらが置かれている事に気がついた。額の上にもタオルが乗っていた……まだ冷たい……。
ベッド横のナイトテーブルには、トレーの上にうつぶせに伏せたコップとORS飲料のペットボトルが置かれていた。今日病院でもらった薬も置いてあった……。
(ふーん……結構マメな人なんですね?! 知らなかったわ……)
「起きた? お粥食べない? 手作りじゃなくてドラッグストアで買ってきたレトルト物で悪いんだけど……」
(え...お粥? 買ってきてくれたの?)そう言えば、とてもお腹が空いていた。
「じゃあ……いただきます」
器に入れて持ってきたお粥は、熱すぎず、冷たくもなく適温だった。スプンにすくって口の中に入れたら、なんとも言えない幸福感がジワジワと広がった……。レトルト物なのに凄く美味しかった……。
「おいしい……」
本心がポロッと出た。
「そう……良かった。沢山食べて早く良くなれよ。食べ終ったら、薬を飲むんだぞ!!」
「はい...。あ、そう言えば病院で保険証出せなかったと思うのだけど……」
うっかり忘れていた……。病院に連れて行って貰ったのに、支払いの事も、保険証提示の事も気にならなくて、そのまま帰って来てしまった……。
「ああ……。保険証出せなかったから10割で精算してきた……」
ガーン!! きっと物凄い高額ね。痛い出費だわ……。
「忘れないうちに、あなたにお支払いしておきます……」
ナイトテーブルの引き出しからお財布を取り出そうとしたら、智弘に制された。
「いらない。俺はお前の夫だぞ。なんか水臭いな。俺が支払って当然だから……」
「だって……。もう、離婚して他人になったって思っていたから……今更夫だなんて言われても……そんな風に思えません。困ります……」
その途端、智弘は悲しい顔をした。
(ああ...あからさまにそんな顔しないで!! 私が虐めてるみたいだわ!!)
「俺は絶対に離婚しないから……。やり直しに来たんだ……」
「そんな事言われても……」
「その事は病気が治ってからゆっくり話し合おう。今は良くなる事だけ考えて。さ……もっと食べないと、元気になれないよ」
「わかりました……」
確かにこの話しは堂々巡りでなかなか解決出来ない感じだ。
「そうだ……俺はどこに寝ればいいかな? 床に雑魚寝でも何でもいいけど……」
「あ……。ダイニングの所にハシゴ階段があると思うけど、上に部屋があってベッドもありますからそこを使って下さい。バスルームはあそこの扉、トイレはその隣の扉ですから」
「へえ……そんな部屋が……ベッドまであるんだ。ま……まさかっ。恋人でもいるのか?!」
ベッドという言葉に反応して、非常に焦ったような驚いたような顔をして、問い詰めるように迫ってきた。
(ち……ちょっと……顔近いんですけど……)
その突拍子もない一言に頭に血が上った!! だとしたら浮気だって言いたいの?
「もう結婚も恋愛も懲り懲りですから。この先はずっと独身で自分の力で生きていくつもりですから……」
近すぎる智弘の顔に怯まないように、ギッと睨みつけた。
「ってことは、ずっと1人だったんだな。良かった……」
睨みは全然効果ナシで、勝手に喜んでる……。
「良かったって?!」
「あ……いや……」
いったい何を考えているのかしら。早く元気になって追い出さないと!!
「君が寝るまで起きてるから、用事がある時は何でも言ってね」
「もう大分良くなって来ましたから、寝ちゃってもいいですよ」
「いやいや……。先生も家で絶対安静って言ってたし……。あ……氷まくら変えないとな」
「あ……どうもすみません」
(んっ? 絶対安静? 重病人じゃないって!! 大袈裟な...!! )
「汗かいただろう? 着替えた方がいいぞ。後で体拭いてあげようか?」
「い……いいえ……遠慮しておきます」
「なに恥ずかしがってるんだ……俺達夫婦じゃないか……」
「い……嫌ですよぉ……」
杏樹は布団を引っ張って、目深にかぶった。
「全くうぶなんだから……」
クスリと笑って、何やら昔を思い出したかのようににやける智弘。
「まあ……俺もお前しか知らないけど。お互いに操を守ったって事だよな……」
(ち……ちょっと!! なに思いだし笑いしてるのよぉ!! 私の許可なく勝手に想像するな!! )
「じゃあ着替え持ってくるから、後で着替えろよ。え〜っと……着替えはこっちか?」
「い……いいです……いいです……。もう大分良くなりましたから、あとで起きて着替えますから」
「本当に大丈夫か?」
杏樹は何度もウンウンと頷いた。
この人……凄く張り切ってる。私が病気で寝込んでてて何となく嬉しそうに見えるのは何故?
ああ体の免疫力よ!! 早くエンジンがかかって全開になって!! 早く元気にならないと……。家を乗っ取られそうな気がするわ!!
(第11話に続く)
無邪気な顔をして、この愚かな夫はそう言った。
「えっ……!!」
この話しは点滴が終って家に帰れる事になったので、病院の外に駐車してある車までどうやって行くかという話しである。
「歩けますから大丈夫です」
そう言って杏樹は起き上がったが、平衡感覚が麻痺してしまったのか?なんだかフラフラする……。
「お……おい……。無理して倒れて怪我したらどうするんだ!! 決められないのなら俺が……」
そ……その手つきは横抱き!!
「く……車イスにします」
触られそうになったので、慌てて即答した。お任せしたらとんでもない事になりそうだわ!! 慌てて一番マシな車イスをセレクトした。
(ああ……まったく……。風邪をひいた自分を呪いたい気分だわ……)
だけど、車イスをセレクトしたのにもかかわらず、ヒョイと横抱きで持ち上げられてしまい、結局ベッドから車イスに移るのに、一番セレクトしたくなかった横抱きをされてしまった。
「キャッ!!」
つい悲鳴を上げてしまう……。
「落とさないから大丈夫……」
(違うんです...そんなことされると困るんです!!)
軽々と智弘に横抱きにされて、車イスに乗せられて……なんだか敗北感のようなモヤモヤした気持ちを感じた。
夫の逞しい腕と頬に当たる夫の厚く固い筋肉質な胸板に、ふんわりと香る品の良い心地よいコロンの香りに少しドキッとした。
ああ……そんな自分が恨めしい……。彼は確かにモデル級の素敵な容姿とプロポーションを持ってるし、頭脳明晰だと思うけれど……。人間的に大きな欠陥を持ってるわ!! それにこの私のザマはなんて……恥ずかしいっ!! 恥ずかしすぎるっ……。
智弘が車イスを押し、病院の注射室から廊下に出たら、他の患者さんや付き添いの人が皆、こっちを注目してる気がする……。車イスだなんて凄く大袈裟な感じがするし、風邪でふらついて歩けないなんて情けないし……車イスを押してる人物が元夫……いえ……未だに夫だなんて……。
駐車場に着くと、サンルーフ付きの白いセダンの外車が置かれていた。夫の車に乗るのは初めてだし、免許を持ってて、運転出来る事でさえ知らなかった。
(この車だと1千万〜2千万クラスだわね。苦労知らずのお坊ちゃまの彼が、会社を飛び出して何が出来るというの? まさか……ずっと居座り続けて私の安住の楽園でヒモ生活なんてならないでしょうね……)
風邪のせいか、今考えた恐ろしい悪夢のせいか……ゾクゾクっと寒気がして身震いした。
(風邪が直ったら追い出そう……絶対に!!)
「さっ……乗ろう」
智弘から介助されながら、車の助手席に乗り込んだ。ご丁寧にシートベルトまでつけてくれて、楽なように車のリクライニングシートを倒してくれた。
(随分と気配りが利くようになったのね……本当に昔と大違い……)
車を発進させて少ししてから、杏樹が聞いた。
「ここまで車で? 1人で?」
「ああ……。ずっと行きたいと思ってて、前々からナビにインプットしておいたんだ……」
(へぇ……そうなんだ……。お店のHPを見たら場所が分るものね……)
「杏樹に会えて、凄く嬉しい。ずっと会いたかったよ」
含羞みながら、柔らかな顔をして微笑む元夫……。
(いえいえ……。私は歓迎してませんから。絶対勘違いしてませんか? あなたの事許してませんから……)
これ以上、智弘がどんな頭の痛くなる言葉を言って来るかと思うと、末恐ろしくなって、眠ったふりを決め込んだ。
だけどそのうち体が疲れてて、体調も悪くて、本当に寝てしまった。気がついたら自分のベッドの中にいた。頭を動かしたらチャポンと水の音がして、枕の上に、タオルに包まれた氷まくらが置かれている事に気がついた。額の上にもタオルが乗っていた……まだ冷たい……。
ベッド横のナイトテーブルには、トレーの上にうつぶせに伏せたコップとORS飲料のペットボトルが置かれていた。今日病院でもらった薬も置いてあった……。
(ふーん……結構マメな人なんですね?! 知らなかったわ……)
「起きた? お粥食べない? 手作りじゃなくてドラッグストアで買ってきたレトルト物で悪いんだけど……」
(え...お粥? 買ってきてくれたの?)そう言えば、とてもお腹が空いていた。
「じゃあ……いただきます」
器に入れて持ってきたお粥は、熱すぎず、冷たくもなく適温だった。スプンにすくって口の中に入れたら、なんとも言えない幸福感がジワジワと広がった……。レトルト物なのに凄く美味しかった……。
「おいしい……」
本心がポロッと出た。
「そう……良かった。沢山食べて早く良くなれよ。食べ終ったら、薬を飲むんだぞ!!」
「はい...。あ、そう言えば病院で保険証出せなかったと思うのだけど……」
うっかり忘れていた……。病院に連れて行って貰ったのに、支払いの事も、保険証提示の事も気にならなくて、そのまま帰って来てしまった……。
「ああ……。保険証出せなかったから10割で精算してきた……」
ガーン!! きっと物凄い高額ね。痛い出費だわ……。
「忘れないうちに、あなたにお支払いしておきます……」
ナイトテーブルの引き出しからお財布を取り出そうとしたら、智弘に制された。
「いらない。俺はお前の夫だぞ。なんか水臭いな。俺が支払って当然だから……」
「だって……。もう、離婚して他人になったって思っていたから……今更夫だなんて言われても……そんな風に思えません。困ります……」
その途端、智弘は悲しい顔をした。
(ああ...あからさまにそんな顔しないで!! 私が虐めてるみたいだわ!!)
「俺は絶対に離婚しないから……。やり直しに来たんだ……」
「そんな事言われても……」
「その事は病気が治ってからゆっくり話し合おう。今は良くなる事だけ考えて。さ……もっと食べないと、元気になれないよ」
「わかりました……」
確かにこの話しは堂々巡りでなかなか解決出来ない感じだ。
「そうだ……俺はどこに寝ればいいかな? 床に雑魚寝でも何でもいいけど……」
「あ……。ダイニングの所にハシゴ階段があると思うけど、上に部屋があってベッドもありますからそこを使って下さい。バスルームはあそこの扉、トイレはその隣の扉ですから」
「へえ……そんな部屋が……ベッドまであるんだ。ま……まさかっ。恋人でもいるのか?!」
ベッドという言葉に反応して、非常に焦ったような驚いたような顔をして、問い詰めるように迫ってきた。
(ち……ちょっと……顔近いんですけど……)
その突拍子もない一言に頭に血が上った!! だとしたら浮気だって言いたいの?
「もう結婚も恋愛も懲り懲りですから。この先はずっと独身で自分の力で生きていくつもりですから……」
近すぎる智弘の顔に怯まないように、ギッと睨みつけた。
「ってことは、ずっと1人だったんだな。良かった……」
睨みは全然効果ナシで、勝手に喜んでる……。
「良かったって?!」
「あ……いや……」
いったい何を考えているのかしら。早く元気になって追い出さないと!!
「君が寝るまで起きてるから、用事がある時は何でも言ってね」
「もう大分良くなって来ましたから、寝ちゃってもいいですよ」
「いやいや……。先生も家で絶対安静って言ってたし……。あ……氷まくら変えないとな」
「あ……どうもすみません」
(んっ? 絶対安静? 重病人じゃないって!! 大袈裟な...!! )
「汗かいただろう? 着替えた方がいいぞ。後で体拭いてあげようか?」
「い……いいえ……遠慮しておきます」
「なに恥ずかしがってるんだ……俺達夫婦じゃないか……」
「い……嫌ですよぉ……」
杏樹は布団を引っ張って、目深にかぶった。
「全くうぶなんだから……」
クスリと笑って、何やら昔を思い出したかのようににやける智弘。
「まあ……俺もお前しか知らないけど。お互いに操を守ったって事だよな……」
(ち……ちょっと!! なに思いだし笑いしてるのよぉ!! 私の許可なく勝手に想像するな!! )
「じゃあ着替え持ってくるから、後で着替えろよ。え〜っと……着替えはこっちか?」
「い……いいです……いいです……。もう大分良くなりましたから、あとで起きて着替えますから」
「本当に大丈夫か?」
杏樹は何度もウンウンと頷いた。
この人……凄く張り切ってる。私が病気で寝込んでてて何となく嬉しそうに見えるのは何故?
ああ体の免疫力よ!! 早くエンジンがかかって全開になって!! 早く元気にならないと……。家を乗っ取られそうな気がするわ!!
(第11話に続く)