金色の陽と透き通った青空
第18話 不吉な風
再婚相手として総帥が強く望んでいた人……鷹乃宮千晶さん。
もしあの時、智弘が離婚届を破棄せず、離婚が成立していたら……。そして再婚していたら、この人が智弘の奥さんだったのかもしれない。凄く複雑な気持ちだ。いったい何の用でこんな遠くまでやって来たのだろうか……。凄く不吉な空気を感じた。
なにやら話しがあるとの事で、お店が閉店後にまた尋ねてもらう事にした。そして、再度千晶が尋ねてきたら、居間でもあるダイニングルームに通した。
キョロキョロと目だけ泳がせて、物色するように見回す千晶。少し蔑んだような、怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうぞこちらにお座りになって下さい……」
杏樹は薪ストーブに一番近い温かな一番良い席に千晶を案内した。
「失礼するわね」
杏樹は焼き菓子とダージリンティーを千晶に出した。
「手短に用件だけ話すわね。総帥はとても嘆いておいでだわ...」
「えっ?」
いきなり本題と思える発言に、動揺の色を隠せない杏樹。
「智弘さんが玖鳳グループを抜けて、総帥がお体を壊してから、株価が急下落している事はお分かりかしら?」
挑発的な表情で口角を上げ、話しを続ける千晶。
「はい。詳しい事までは存じませんが、下がっていると言う事は関谷さんから聞きました」
「それでね、玖鳳グループは今。窮地に追い込まれているのよ。社の中東支社の石油開発事業部で、とてつもない大きな損失を出してしまって……。更に今回の事で、赤字は物凄い勢いで増え続けているわ。今、大きな後ろ盾となる企業を必要としてるわ。その一番の候補がうちの父の経営する会社なのよ。智弘さんが今懸命に会社建て直しを図っているけれど、ものすごく厳しい状況よ。私の父は、若い頃総帥にとても可愛がってもらって、その後独立して企業を興したから、総帥に恩があるし、智弘さんの事も幼い頃から良く知ってるし、婿に来てくれたらと願ってるわ。だから……」
杏樹は口を挟むように、千晶の身勝手な言葉を遮り、抵抗をするように、少しきつめの口調で言った。
「私、智弘さんと別れるつもりはありませんから……」
その言葉に千晶がムッとする。
「杏樹さん。あなたには何ができるというの? 智弘さんの支えにどうやってなってあげられるの?」
それを言われるとハッキリした解答が出来ない。
「貴方は昔は大手企業のお嬢様だったかもしれないけれど、今はただの小さなお店を切盛りする女店主でしょ? そんな貴方がどうやって支えられるの?」
「そ……それは……」
ズバリと杏樹の痛い所を遠慮無く突き刺してくる千晶に、言葉を詰まらせる杏樹。
「あ……。心の支えとかそんな言葉では私は納得できないわ。実質的に何ができるのかしら?」
確かに今の自分には、実質的に支えられるものはない。だが……。
「確かに今の私には大した財力はありません。ですけど、智弘さんが必要としている人は千晶さんではなくて、私だと思ってます。それに、今の智弘さんはお金の為に離婚や再婚をするようなそんな人ではありませんから。何を言われようとも別れるつもりはありませんので」
だからと言って、智弘と別れるつもりはない。どうすればいいのかその明確な答えは見付からないにしても、千晶の言葉に折れて、智弘から身を引く気持ちは無かった。もう離れない、一緒に生きて行くと決心したのだから。
「もともと……」
悔しそうな表情をし、千晶はギッと杏樹をにらみつけた。
「え?」
「もともとあなたとの政略結婚が決まるまでは、私との結婚話が出ていたのよ。それを突然あなたが奪ったのよ!!」
それは総帥が決めた事だ。スタートはアンラッキーな結婚だったが、今思えば、総帥が私に白羽の矢を立ててくれた事は、ラッキーだったのかもしれないと、杏樹は思った。
「何を言われても、私も彼も別れるつもりはありませんから」
杏樹は真っ直ぐな瞳で千晶を見た。その曇のない瞳に今度は千晶の方が目を踊らせる。
「まあいいわ……。そうやっていい気でいられるのも今のうちね。お邪魔したわ」
凍りつきそうな不敵な笑みを残して、千晶は帰って行った。
千晶が帰って行ってから、杏樹は千晶に出したティーカップの紅茶をシンクに流した。
ひと口だけ飲まれたダージリンティー。ティーカップにほんのり付いた千晶の鮮やかな赤い口紅……。凄く嫌な気持ちになって、汚れてしまったカップを浄化するような気持ちで、泡だらけにして何度も何度も洗った。
それから彼女が口を付けなかった焼き菓子を、ゴミ箱に投げ込んだ。
お菓子を愛してるから、いつもはこんな酷い粗末にするようなことはしないし、お菓子に罪は無いのに……。『今日だけはゴメンね。許してね...』愛らしいお菓子達に心の中で謝った。
夜寝る前に智弘にメールを送った。他愛ないメール……。
『そちらの様子はいかがですか?こちらはいつも通りよ。クリスマスの翌日だからなのか?今日は珍しくお客様が少なくて暇でした。風邪などひかないように、温かくしてね。ではまた……』
今日千晶が来た事は、書かなかった。大変そうなのに心配をかけたくない……。送信ボタンを押して、携帯を枕の横に置いた。
就寝前のこの時間、いつもならわりと早く返信が来るのに、今日に限っては全く来なかった……。そのこともあってか、なんだかとても切なく淋しく悲しくなって来た。
まるで流星のように、目尻からスーッといくつも温かい涙の雫が流れ、枕に落ちては消えていった。
「嫌だ……涙が出て来ちゃった。なんだか子供みたい……」
寂しくてメソメソする子供みたいな自分が可笑しくて、なんか笑えちゃいそうなのに、笑えない。涙は後から後から、溢れ出し止まらない。
やがて泣き疲れ、段々うとうと……睡魔が襲ってきた。
夢と現実の狭間なのか? とてもリアルで不思議な夢を見た。
ベッドの自分の右隣……智弘がいつもいた場所。今は空っぽで淋しい場所……その場所がギシリと沈み、智弘が居るような……そんなリアルな感覚がした。
「杏樹……」
彼に呼ばれてる感じもした。
「ん……」
その呼びかけに答えたくて、返事をしたいのに声が出ない。夢でいいから私の側にいて……消えないで……。あなたの温かなぬくもりを知ってから、臆病になってしまった。独りぼっちは淋しい……。智弘の幻が消えてしまうのは嫌……もうちょっと居て欲しい。切なくて涙が溢れてきた……。
「いかないで……」
やっと声が出た。夢見心地の中で、何故かホッとした。
「ここにいるよ……」
フワリと抱きしめられて、彼の温かな体温がジワリと杏樹の体を包み込んだ。
頬にキスを落とされたそんな感触がした。
「杏樹……泣いてるの?」
その声が、とてもハッキリ聞えて『え?』と思い現実に引き戻された。
――驚いて、声が出なかった。本当に智弘が居た……。
まだ頭がハッキリ起きていない状況で、この状況が飲み込めなくて、頭の中が真っ白になって固まってしまった。
「ゴメン驚かせて。眠っていたから起こすのは悪いかなと思って、隣で起きるまで見守っていた」
「なんで?」
「クリスマスには絶対戻って来ようと思っていたのに、遅くなってゴメン。杏樹にすごく会いたくて、時間が少し出来たから車を飛ばして戻って来たんだ」
幻だと思っていた智弘が目の前にいる。柔らかな優しい笑顔を向けて……。
「会いたかった……淋しかったわ……」
嬉しくて嬉しくて……智弘にしがみつく様に抱きついた。
「俺も……寂しかったよ……凄く会いたかった!!」
そんな杏樹を受け止めるように、智弘も愛おしそうに抱きしめた。
聞きたい事話したい事は沢山ある。だけど今は、お互いのぬくもりを感じていたい。
今はただこうやっていたかった。
(第19話に続く)
もしあの時、智弘が離婚届を破棄せず、離婚が成立していたら……。そして再婚していたら、この人が智弘の奥さんだったのかもしれない。凄く複雑な気持ちだ。いったい何の用でこんな遠くまでやって来たのだろうか……。凄く不吉な空気を感じた。
なにやら話しがあるとの事で、お店が閉店後にまた尋ねてもらう事にした。そして、再度千晶が尋ねてきたら、居間でもあるダイニングルームに通した。
キョロキョロと目だけ泳がせて、物色するように見回す千晶。少し蔑んだような、怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうぞこちらにお座りになって下さい……」
杏樹は薪ストーブに一番近い温かな一番良い席に千晶を案内した。
「失礼するわね」
杏樹は焼き菓子とダージリンティーを千晶に出した。
「手短に用件だけ話すわね。総帥はとても嘆いておいでだわ...」
「えっ?」
いきなり本題と思える発言に、動揺の色を隠せない杏樹。
「智弘さんが玖鳳グループを抜けて、総帥がお体を壊してから、株価が急下落している事はお分かりかしら?」
挑発的な表情で口角を上げ、話しを続ける千晶。
「はい。詳しい事までは存じませんが、下がっていると言う事は関谷さんから聞きました」
「それでね、玖鳳グループは今。窮地に追い込まれているのよ。社の中東支社の石油開発事業部で、とてつもない大きな損失を出してしまって……。更に今回の事で、赤字は物凄い勢いで増え続けているわ。今、大きな後ろ盾となる企業を必要としてるわ。その一番の候補がうちの父の経営する会社なのよ。智弘さんが今懸命に会社建て直しを図っているけれど、ものすごく厳しい状況よ。私の父は、若い頃総帥にとても可愛がってもらって、その後独立して企業を興したから、総帥に恩があるし、智弘さんの事も幼い頃から良く知ってるし、婿に来てくれたらと願ってるわ。だから……」
杏樹は口を挟むように、千晶の身勝手な言葉を遮り、抵抗をするように、少しきつめの口調で言った。
「私、智弘さんと別れるつもりはありませんから……」
その言葉に千晶がムッとする。
「杏樹さん。あなたには何ができるというの? 智弘さんの支えにどうやってなってあげられるの?」
それを言われるとハッキリした解答が出来ない。
「貴方は昔は大手企業のお嬢様だったかもしれないけれど、今はただの小さなお店を切盛りする女店主でしょ? そんな貴方がどうやって支えられるの?」
「そ……それは……」
ズバリと杏樹の痛い所を遠慮無く突き刺してくる千晶に、言葉を詰まらせる杏樹。
「あ……。心の支えとかそんな言葉では私は納得できないわ。実質的に何ができるのかしら?」
確かに今の自分には、実質的に支えられるものはない。だが……。
「確かに今の私には大した財力はありません。ですけど、智弘さんが必要としている人は千晶さんではなくて、私だと思ってます。それに、今の智弘さんはお金の為に離婚や再婚をするようなそんな人ではありませんから。何を言われようとも別れるつもりはありませんので」
だからと言って、智弘と別れるつもりはない。どうすればいいのかその明確な答えは見付からないにしても、千晶の言葉に折れて、智弘から身を引く気持ちは無かった。もう離れない、一緒に生きて行くと決心したのだから。
「もともと……」
悔しそうな表情をし、千晶はギッと杏樹をにらみつけた。
「え?」
「もともとあなたとの政略結婚が決まるまでは、私との結婚話が出ていたのよ。それを突然あなたが奪ったのよ!!」
それは総帥が決めた事だ。スタートはアンラッキーな結婚だったが、今思えば、総帥が私に白羽の矢を立ててくれた事は、ラッキーだったのかもしれないと、杏樹は思った。
「何を言われても、私も彼も別れるつもりはありませんから」
杏樹は真っ直ぐな瞳で千晶を見た。その曇のない瞳に今度は千晶の方が目を踊らせる。
「まあいいわ……。そうやっていい気でいられるのも今のうちね。お邪魔したわ」
凍りつきそうな不敵な笑みを残して、千晶は帰って行った。
千晶が帰って行ってから、杏樹は千晶に出したティーカップの紅茶をシンクに流した。
ひと口だけ飲まれたダージリンティー。ティーカップにほんのり付いた千晶の鮮やかな赤い口紅……。凄く嫌な気持ちになって、汚れてしまったカップを浄化するような気持ちで、泡だらけにして何度も何度も洗った。
それから彼女が口を付けなかった焼き菓子を、ゴミ箱に投げ込んだ。
お菓子を愛してるから、いつもはこんな酷い粗末にするようなことはしないし、お菓子に罪は無いのに……。『今日だけはゴメンね。許してね...』愛らしいお菓子達に心の中で謝った。
夜寝る前に智弘にメールを送った。他愛ないメール……。
『そちらの様子はいかがですか?こちらはいつも通りよ。クリスマスの翌日だからなのか?今日は珍しくお客様が少なくて暇でした。風邪などひかないように、温かくしてね。ではまた……』
今日千晶が来た事は、書かなかった。大変そうなのに心配をかけたくない……。送信ボタンを押して、携帯を枕の横に置いた。
就寝前のこの時間、いつもならわりと早く返信が来るのに、今日に限っては全く来なかった……。そのこともあってか、なんだかとても切なく淋しく悲しくなって来た。
まるで流星のように、目尻からスーッといくつも温かい涙の雫が流れ、枕に落ちては消えていった。
「嫌だ……涙が出て来ちゃった。なんだか子供みたい……」
寂しくてメソメソする子供みたいな自分が可笑しくて、なんか笑えちゃいそうなのに、笑えない。涙は後から後から、溢れ出し止まらない。
やがて泣き疲れ、段々うとうと……睡魔が襲ってきた。
夢と現実の狭間なのか? とてもリアルで不思議な夢を見た。
ベッドの自分の右隣……智弘がいつもいた場所。今は空っぽで淋しい場所……その場所がギシリと沈み、智弘が居るような……そんなリアルな感覚がした。
「杏樹……」
彼に呼ばれてる感じもした。
「ん……」
その呼びかけに答えたくて、返事をしたいのに声が出ない。夢でいいから私の側にいて……消えないで……。あなたの温かなぬくもりを知ってから、臆病になってしまった。独りぼっちは淋しい……。智弘の幻が消えてしまうのは嫌……もうちょっと居て欲しい。切なくて涙が溢れてきた……。
「いかないで……」
やっと声が出た。夢見心地の中で、何故かホッとした。
「ここにいるよ……」
フワリと抱きしめられて、彼の温かな体温がジワリと杏樹の体を包み込んだ。
頬にキスを落とされたそんな感触がした。
「杏樹……泣いてるの?」
その声が、とてもハッキリ聞えて『え?』と思い現実に引き戻された。
――驚いて、声が出なかった。本当に智弘が居た……。
まだ頭がハッキリ起きていない状況で、この状況が飲み込めなくて、頭の中が真っ白になって固まってしまった。
「ゴメン驚かせて。眠っていたから起こすのは悪いかなと思って、隣で起きるまで見守っていた」
「なんで?」
「クリスマスには絶対戻って来ようと思っていたのに、遅くなってゴメン。杏樹にすごく会いたくて、時間が少し出来たから車を飛ばして戻って来たんだ」
幻だと思っていた智弘が目の前にいる。柔らかな優しい笑顔を向けて……。
「会いたかった……淋しかったわ……」
嬉しくて嬉しくて……智弘にしがみつく様に抱きついた。
「俺も……寂しかったよ……凄く会いたかった!!」
そんな杏樹を受け止めるように、智弘も愛おしそうに抱きしめた。
聞きたい事話したい事は沢山ある。だけど今は、お互いのぬくもりを感じていたい。
今はただこうやっていたかった。
(第19話に続く)