空色の瞳にキスを。
「王女、」

その声はコルタのものだ。カタン、という椅子の音と共に台所の近くに座っていたコルタがおもむろに立ち上がる。ナナセに近付き、華奢な肩を抱く。

コルタの腕の力で彼女の身体が傾いで、ナナセの柔らかな頬とコルタの硬い胸がぶつかった。

「──君の幸せを、願ってるよ。」

──だから、とコルタは続けた。ナナセには聞こえていない。
コルタの右手の中から、何かが光った。コルタはゆっくりと手の中で鈍く光るそれをナナセの腹へと押し当てる。
アズキや他の大人の目線からはコルタの右腕は彼自身で隠れていて見えない。アズキの笑顔を視界の隅に捉えながら、コルタはゆっくりと手の中のナイフを彼女の腹へと沈める。

──だから、彼は願った。君の幸せを願っているから、君は存在しないでくれ、と。

そして忌々しい賞金首が崩れ落ちるはずだった。
柔らかい人肌の感触も、ナイフの切っ先が体に触れる感触もあったのに。彼女にはナイフが刺さらない。まだコルタに抱きしめられた格好のままに、ナナセが小さく呟いた。

「ごめんね、コルタさん。あたしはまだやり残したことがあるから、ここで死ねないの。
ナイフを下ろして。でなきゃみんなに見つかるよ。
……お願い。」

自分が刃を向けているにもかかわらず、平生と変わらず冷静に呟く彼女に、コルタはどうしてか彼女よりも自分の方が年下のような錯覚に陥った。この冷静さが彼女の十六年を生々しく映していて、コルタは奥歯をぎりりと鳴らした。

「お前が、お前が死ねば、全部解決することなのに……!」

『ハルカ』が見慣れたコルタの面影は、どこにも無い。王女への憎悪の心を燃やすコルタに心に後悔がじんわりと広がる。

こうなるかも知れないことはナナセにも分かっていた。友達を信じたくて、出会った人を信じたくて、小さな小さな『可能性』に懸けた。そうしたら、たまたま失敗しただけ。

けれど剥き出しの敵意に、涙があとからあとから伝う。

「なんだよ。泣いてる子供は殺せないと思っているのか!」

一歩先のナナセに向かって、コルタは吠えた。まわりの大人が、トーヤが、アズキがやっと気付いた。

「やめてお父さん!あたしの、あたしの友達なの!」

机を挟んで立つアズキが必死に叫んだ言葉に、涙で濡れたままにアズキを見る。ナナセは下手な泣き笑いの笑顔を見せた。

「アズキ、大丈夫だよ。あたしは死なないから。ここでは死ねないから……。」

どこか呪(まじな)いのような意志の強い言葉に、アズキが少し安堵する。そうして娘と意志の疎通を図る賞金首が、コルタはまた許せなかった。
賞金首で、罪人の少女にここにいるみなが騙されていたなんて馬鹿にされたみたいで、娘が罪人の虜になっているなんて、狂いそうになるくらいに憎かった。

この二つの家族の道を、運命を変えてしまったのはナナセだと、ナナセ自身でも分かっていた。そして、目の前にいるアズキの父親も、その思いを抱えていた。

一歩先のナナセに向かってナイフを振りかぶる。
「コルタ!」
「お父さん!」
「おじさん!」
「やめてーっ!」

ひときわ大きな声で叫んだのは、アズキだった。ナナセの視界の隅で、走り出すアズキが見えた。
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