空色の瞳にキスを。
落ち着いたアズキに、サラは唐突に鏡を渡してきた。

映ったアズキの瞳は、泣いたからでなく、瞳の色がサラより少し濃いだけの薄い赤。アズキは目の色が変わるなんて思ってもみなかった常識の転覆に絶句した。そんなアズキの瞼をサラの指が撫でた。ふんわりと黄色い光が視界の端に映り込む。

もう一度覗き込むと、そこには見慣れた茶色い瞳があった。これは誰でも使える簡単な魔術だと、サラは笑った。

「これから覚えるといい。」

そう言ってサラは他に一族しか使えないという魔術を、アズキにこれでもかと一気に教えた。サラが口にして教えていく呪文たちが、アズキは苦もなく覚えられた。呪文が色や意思を持っているように思えて、簡単に仲良くなれた。

けれどそれは、自分のなかに底無し沼を見たのと同じこと。アズキの知らない『アズキ』に、怖くなった。

「──おばあちゃんは、こんな魔術、怖くないの?」

サラは意外にも穏やかに、懐かしむみたいに笑っていた。

「怖いさ。自分の中に知らない世界が広がっているのは、怖いさ。
けれども怯えていてはなにもならないじゃろう?」

サラはなんでもないことみたいに笑っているけれど、なんでもなくなんかなかったはずだ。今みたいに笑えるまでに、自分の心と戦ってきたんだろうと、アズキは思えた。

「……おばあちゃんは、凄いなぁ。」
「アズキー?」

トーヤの間の抜けた声が廊下から響いてきた。この声は、種明かしの終わりの合図らしかった。

「もう時間じゃな、」

そう笑ってサラは軽く指先を振った。きらきらと金色が舞って、サラの瞳も茶色の瞳に元通り。魔法が解けたみたいだ。 すぐに扉が開いて、入ってきたのは勿論トーヤだ。

「アズキー、わ、サラ婆も!
アズキ、先生が見てくれるって。俺呼んでくるから、じっとしててくれよ!」

そんなこと言われなくても、アズキはまだ動く気にはならないのだが。嵐のようにいなくなったトーヤの慌ただしさは、アズキを現実へと引き戻してくれる。

「じゃあわたしは行くな。
──アズキ、呑まれるなよ。」

ぽんぽん、とまた孫の頭を撫でて、サラは出ていく。なんだか名残惜しい心地がした。

入れ違いに入ってきたのは、コルタと魔術医師の先生。道を偶然通りかかったこの金髪の先生は、驚くほど腕が良かった。
二人で旅をしているようで、二人とも金髪の男の人。ひとりは魔術に、もうひとりは武術に長けているようだった。
今はいない一人は、領主さまの屋敷で武道を披露しているとアズキは先生から聞いていた。

「アズキ、大丈夫か?」
「うん。大丈夫、ありがとう。」

ずいぶんと心配してくるコルタに、困ったように笑い返した。先生のお陰で別になんてことないよとアズキが笑っても、やはりアズキに負い目を感じているようで態度が変わらない。
アズキにとってはいつまでも父は父だから、今後のことも考えて友達に向けた刃を自分が受けたことでもうとやかく言わないことにしていた。

< 68 / 331 >

この作品をシェア

pagetop