記憶


ひどく驚いた。
当然、見知らぬ男が自分の名前を知っていて話しかけてきたこともそうなのだが、それ以上に「話しがあるんでちょっと着いてきて」と言った彼の左手に、鈍く光るナイフが見えたことの方が原因としては大きかった。

自他共に認める臆病な私がその、命令とも取れる要求を断るという選択肢はその時点で消えていた。
言われるがまま会計を済ませ彼の前を歩かされる中、喧騒広がる店を後にする。
ドアをくぐった瞬間凍てつくような冬の空気が私に襲いかかり無意識に足を止めた。
彼は後ろから「そのまま真っ直ぐ歩け」と低い声で言う。
嫌々ながら歩みを進めることにした私の頭の中は、様々なものが飛び交っていて…つまり非常に混乱していたのだが。
とにかく真っ直ぐ歩くことがこんなに難しかったのかと思う程に右へ左へフラフラしていたことだろう。

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