この空のした。〜君たちは確かに生きていた〜
 


不動滝の崖を下りるということももちろんしたことはないが、洞門をくぐったことなぞ誰も経験がなかった。


弁天洞門は、戸ノ口堰と呼ばれる灌漑(かんがい)用水路の一部で、猪苗代湖の水を会津城下の田や畑に引き入れるため、天保六年(1835年)に大改修したおり、出来たものらしい。


弁天山に穴を開けるようにして出来たそれは、長さは百十間(約200m)余りあると聞いている。


ここを抜けた先の弁天山の西表には弁天堂が建てられており、夏になると日新館の仲間や近くの村の子供達が、よく洞門口に水浴びをしに来ていた。


だが 洞門の中をくぐろうとした奴なぞ、一度も見たことがない。



肝試しにも似た心地で不安な表情を見せる仲間達をよそに、野村どのや他数名はそれは名案だと目を輝かせた。



夏を迎えるたびに、「一度はくぐってみてえな」と ぼやいていた野村どのの姿を思い出す。


どこまでも豪気な彼の姿に篠田どのは苦笑しながら、それでも野村どのに同意して皆に言った。



「俺も賛成だ。洞門ならば敵に気づかれずに進むことができる。
みんな、勇気を出すんだ!洞門を抜けるぞ!!」



皆は篠田どのの指示に従った。





不動滝に着くと崖を下りてゆく。


身体が思うように動かない雄治や和助は、皆で協力して下ろした。



そうして戸ノ口堰用水路を見つけると、それに沿って歩きながら洞門の入口を探した。



< 397 / 466 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop