瑛先生とわたし
1 先生の息子 渉(あゆむ)
瑛先生が筆をとる
紙の前で すぅっ と大きく息を吸い ふっ と呼吸を止めて
力強く一筆をおろす
なんて素敵な横顔なのかしら
もう何回も見ているのに 一文字目に筆をおろすときの表情は
私を惹きつけてやまないの
体を揺らしながら 一気に文字を書き上げていく動作は
まるで音楽にあわせて体を動かすようで リズムにのって筆が進んでいく
瑛先生の身のこなしに 私は今日何度目かのため息をついた
玄関ドアの音がして 駆けるような足音が近づいてきた
先生の一人息子の 渉 (あゆむ) が帰ってきたみたい
バタバタと二階にかけあがる音がして ほどなく降りてきた
手にはサッカーシューズが入ったバッグを持っているはず
仕事部屋のドアが開き 渉は顔だけ出し 私の顔が見えたとたん
べぇー っと舌を出した
なんて憎たらしいヤツ
私もしっぽを立てて ”ふんっ” ってカンジで くるっと後ろを向いたけどね
”ただいま いってきます” と慌しく出て行こうとする渉に
先生が声をかけた
「スポーツドリンクを忘れるな 帰りは迎えに行くから」
”わかった” と 言ったかと思ったら すぐさま部屋から出て行った
その手には やっぱりバッグが握られていた
急がなきゃ
先生 帰りの会の話が長すぎなんだよ
カナエの鉛筆がなくなったからって なんでみんなを残して話をするんだぁ?
アイツ いっつも 「わたしの物がないの」 って大騒ぎする
この前は 「マナちゃんがとったんでしょう」 って言ってた
「マナがそんなことするわけないだろう」 ってみんなが言ったら
「わたしの言うことがウソだって言うの?」 って泣き出した
あーメンドクサイヤツ
「自作自演なんだよ アイツ いっつも人のせいにしてるんだ あったまくる」
夜 パパにその話しをしたら パパが悲しそうな顔をしながら
僕の手を引っ張って膝にのせた
恥ずかしかったけど 誰も見てないからいいや
マーヤは ふん って顔で澄ましてキッチンに行ったけど
「カナエちゃん お父さんとお母さんが離婚したばかりだったね
きっと寂しいんだと思う」
「寂しいからって 友達にいじわるしていいってこと ないじゃん」
「うん そうだ だからカナエちゃんに優しくしてあげるといい」
「なんで僕らがアイツに優しくするんだよ そんなのヘンだって」
「だけどな それがいいんだ 今度ウチにつれておいで
みんなでくればいい 一緒に字を書こう」
そう言うと 僕の体を ぎゅーっと抱きしめた
抱きしめて その次は こちょこちょとくすぐられた
ヤメロー っていっても パパの力にかなうわけない