瑛先生とわたし
流した涙のあとにやってきた幸せは本当だった
仕事を通じて出会った男性は 私の家の事情も理解した上で
”結婚しよう” と言ってくれた
父が急逝したため 祖父から続いている動物病院の跡を継ぎ
名前は私の姓のまま 彼との結婚生活が始まった
二人の子どもにも恵まれ もうひとり欲しいね なんて話をしていた矢先
夫の病気がみつかった
あっという間だった 若いから進行も早かったと医者は言うが
そんなこと私にだってわかる
私が後悔しているのはそんなことじゃない
どうして夫の体調の変化に気が付かなかったのか
仕事で無理をしているとわかっていながら なぜ彼のことをもっと見て
やれなかったのか
後悔ばかりが襲い すべての始末がすんでも 私の心は定まらないままだった
結婚生活の8年間はとても充実したもので いまさら夫のいない生活なんて
考えられない
それなのに 周りの口に上る言葉は 私の心などいたわってはくれなかった
「お子さんのためにも 菜々子さん頑張ってね」
「アナタが頼りなんだから これからはアナタが家族を支えなきゃね」
頑張るんだと必死で気持ちを保ち 仕事も家のことも何とかこなしていた
仕事に没頭していると余計なことを思い出さずにすみ
孤独を感じる暇がないというのが本当のことろだった
けれど夜 夫の帰宅する時間になると 途端に孤独に襲われる
帰ってくるべき人の帰りがない空虚感は 何をしても埋められるものでは
なかった
何をしようと思ったわけでもない
ただ家にいるのが辛かった
ふらっと出掛けた街中で どこを歩いていたのかわからなくなり
とにかく表通りにでようと歩き続けた
灯りの中に 見覚えのある文字を見つけたとき 大海原で灯台の明かりを
見つけた気分だった
以前 瑛君がつれてきてくれたバーだった
吸い寄せられるままに店に入りカウンターに座ると あの時と変わらぬ姿で
マスターが私を迎えてくれた
二杯ほどグラスをあけたとき 扉が開いた音がした
誰が来たのかなんて興味のない私は 振り向くことなく次のグラスを頼んでいた
「菜々子さん 付き合うよ」
「あら 瑛君じゃない 嬉しいわね 私のこと心配して探しにきてくれたの?」
「そうですよ」
真顔の彼は ニコリとも笑わず私の横に腰掛けた