瑛先生とわたし
「拝見します」
「お願いします」
瑛君は真剣な面持ちで 私の字に見入った
一枚見終わると 紙に向かってお辞儀をするところなど 大先生と同じ仕草だ
年は私の方がいくつも上だが この真摯な姿勢は学ぶべき姿だといつも思う
懐かしい和室だった
ここで大先生に指導していただいたのは 何年くらい前だろう
新しく店を構えた頃だから……そうだな もう20年近く前ってことか
すっきりとした床柱に 職人の技が施された細工ガラスのはいった雪見障子
先生の指導してくださる言葉と一緒に あの頃の自分が蘇ってきて
胸の奥に抱えた悔いが顔を出してきた
「僕はこれがいいと思いました 筆の走りが大胆で力強い
余白の空き具合も絶妙ですね 牧村さんはどうですか?」
「うん 僕も同じだよ それは一番気に入っているし
納得のいく仕上がりになったと思っていたから」
「じゃぁ 決まりですね さっそく出品の手続きをします」
「お願いします」
展覧会への出品は久しぶりだった
一時は 何もかも忘れるほどのめり込んだ世界だった
いくつもの賞ももらい 自分には書道しかないと思っていた
それまで築いてきたものさえも否定してしまうほどだったのだから
「牧村さん よく思い直してくださいました 良かった……
ウチのおじいさんも 空の上でホッとしてるでしょう」
「大先生にはずいぶん叱られたなぁ お前はやることが偏りすぎてるって
手先は器用なのに なんで生き方はそんなに不器用なんだって」
「どうして本気で書く気になったのか聞いてもいいですか
やめるときを知っているから
でも 筆は持ってたみたいですね これは書き続けてきた書ですね」
「藍ちゃんのお陰なんだよ 藍ちゃんが また書いて欲しいって
そう言ってくれた いや そんな気がしたんだ」
それまでの私を気遣う顔が 藍ちゃんの名前を出した途端 一瞬にして
険しくなった
瑛君 君のそんな顔を 僕は何度か目にしてきた
穏やかな顔の下に隠れる 野性味を帯びた男の顔だ
藍ちゃんのことになると ときどきその顔を見せるね
ほかにもあったな 菜々子さんのときもそうだった
泣き崩れる彼女に向けられた顔は 成熟した余裕のある男の顔だった
年下とは思えない包容力を感じたものだ
こんな君の顔を 一体何人の人が知っているだろう