瑛先生とわたし


家で紙に向かう時間は大幅に増え 店は妻にまかせっきりになり 

以前ほどの収入は得られなかったが それでも私の気持ちは高揚していた

出すたびに入選する書は 世間が私を認めたとの思いが強かった

送られてくる賞状が増える一方で 借金が増えていることなど気にもせず 

私は書の世界にのめり込んでいった


藍ちゃんの視線を勘違いしてしまったのも そんな頃だった

私に向けられる賞賛の言葉を 愛情があるのだと思い始めたのだった

彼女にBFがいることは知っていた

相手が花房先生の孫であるのも知っていた

だが そんな男より 自分に興味があるのだと思っていたのだから 

まったくのぼせ上がっていたとしか思えない

今思えば 18歳の女の子が 妻もいる30前の男に惹かれるなどありえない

とわかるのに 当時の私は 

何もかも自分の思い通りになると信じていたようだ


自惚れと勘違いの中 私は ある大きな賞をいただいた

花房先生が喜んでくださる姿より 藍ちゃんの 

「おめでとうございます」 の声の方が何倍も嬉しかった



「ありがとう 藍ちゃんが応援してくれたお陰だよ 

こんなに嬉しいことはないよ」


「牧村さん すごく頑張ったから だからもらえた賞ですよ 私も嬉しい」



思わず……いや 多少の期待を込めて 藍ちゃんの手を握り あ

りがとうと言いながら少し引寄せかけたとき 瑛君が現れた

睨みつけるような目だった

動物のオスが メスを自分の物にしようと ライバルと戦うときの目だと思った

二十歳になるかならないかの青年の目は 私を震え上がらせた


憑き物が落ちた……

この言葉がピッタリだった

一瞬にして目が覚め 自分の現状が見えてきたのだった




                           
大きな賞を取り さぁこれからかと思われていた私が 突然書をやめると

言い出したのだから 花房先生も驚いたことだろう

しかし 家業をおろそかにし 妻に迷惑をかけ借金までこしらえていた

ことなど すべてを語った私へ 

「お前のなすべきことは何か 良く考えろ」 

の厳しい言葉と 破門を言い渡した


私はなすべきことを考え 即実行に移した

初心に戻り カクテルの勉強をやり直した

昼はランチを出す店のかたちを残したが 夜は私一人でカウンターに入り 

すべてをこなした

何事にものめり込む性格は あるべき道を目指せば大成するのだとは 

のちに大先生が言ってくださった言葉だ


成人式のあと 瑛君を連れて 花房先生が店に来てくださった

そのときの彼の顔は 男にしては穏やかで優しい顔つきだった

この青年が いざと言うとき 鋭い刃のような目を持った男に豹変するなど 

誰が知るだろう





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