瑛先生とわたし
9 龍之介さんの犬
犬って いつも考え事をしているみたい
龍之介さんの犬を見ていると そう思うの
一緒にここの家に来ても 座ったきり動かないんじゃないのって思うほど
ジーッとしている
瑛先生たちの話を 聞いているんだか聞いてないんだか
ほとんど反応もしないし 置物みたいに座ったまま
ときどき渉の相手をしてやるくらいかなぁ
私を見ても ”やぁ” って顔をするだけ
でもね バロンの頭の中はちゃんと動いてる
それが私にはわかるの
今は龍之介さんの家にいるけど 瑛先生の奥さんの藍さんが大事にしてた
犬だったんだって
バロンって変な名前って思ってたら
「バロンって男爵って意味なんだよな
藍がその頃読んでた小説にでてきた男爵からつけたんだ」
って龍之介さんから聞いたことがある
男爵だって ふぅん 貴族か……確かにそんな風格はあるわね
チビの頃は にゃぁにゃぁ とうるさかった声も 最近やっと
落ち着いてきたようだな
瑛の家にやってきてからというもの 我がもの顔で
ツン とすましてるところが 可愛くもあるがね
猫は勘がいいと言われるが マーヤもメス猫らしく 瑛に近づく女には
キッと鋭い目を向ける
それもいいだろう 藍の代わりに マーヤが瑛のそばにいてくれれば安心だ
藍が私の前からいなくなったことが これまで二度あった
最初は 瑛と結婚して長谷川の家をでたときだ
それまで毎日一緒に散歩をしてくれていたのに 散歩の相手が
お父さんになった
長谷川のお父さんは 藍と違って せっかちに どんどん歩いていく
リードを長くしているから 行き先の指示がわからなくて 何度か引きずられた
藍がいた頃はリードは短く 同じペースで歩いてくれたから
とても歩きやすかった
瑛が一緒のことも多かったな
彼の受験が済むまであまり会えないのよって 寂しそうにしてた頃もあったが
私の散歩にかこつけて 瑛に会いに行ったもんだ
夕方 少し日が傾く頃家をでる
公園で休憩していると瑛がやってきて それから一緒に歩くんだ
歩くコースは その日によって違ったが 最後だけはいつも同じだった
もとの公園のベンチに戻ってきて 少し話をして別れる
そのまえに……
”バロン お座りして 顔を上げちゃだめ” って藍が言うんだ
なんで顔を上げちゃダメなのか 最初はわからなかったけれど ある日
ちらっと見上げたとき 藍の顔は瑛とくっついて ほっぺがピンクになっていた
そうか こんなときは見ちゃいけないんだって それはわかったが
見ないでっていわれると見たくなるもんさ
素直に下を向いているが 素早く視線を上に向けてふたりを見るのさ
藍の顔を手ではさんで 瑛が真剣な目をして顔を近づけてくる
顔がくっつくと どっちも目を閉じるから
私はふたりをじっと見てられるんだがね