瑛先生とわたし

1 マーヤと花房家の人々



「マーヤ、時間だ。またあとでね」



先生の声もお膝と同じくらい大好きなのに、その声で ”あとで” なんて言

われたら困っちゃう。

あぁん、もう少しこのままがいいのに。

首を振って ”イヤイヤ” って抵抗してみたけど、先生の手が私を抱き上

げた。



「この椅子で待ってて」


”うん、わかった。お仕事の時間なのね”


「蒼さんのお手本を書くんだ。彼女、子どもがいるのに熱心だからね」


”今日も赤ちゃんと一緒かな?”


「お子さんをつれて通える教室を探していたそうだ。

透くんのためにも、蒼さんの力になってあげたいと思ってる」


”赤ちゃん、とおるくんって言うんだ”



瑛先生が言う 「力になる」 ってどんなことだろう。

わたしにはわからないけど、蒼さんのために何かしてあげたいのね。



花房瑛先生は書道家。

先生のおじいさんも書道家の偉い先生で、瑛先生も大学の先生だから偉いの。

でも大学で教えるのは一年に二回だけ。

集中講義なんだって。

あとは、公民館講座で教えたり、オウチのお教室とか……

そうそう、テレビドラマの 「題字」 のお仕事とかあるみたい。

個展とか展覧会もあるから、けっこう忙しい人なの。


オウチでお仕事をするときは、先生のそばにいることにしている。

お気に入りの椅子に座って、先生のお仕事を見る。

墨の匂いって好きじゃない人もいるみたいだけど、わたしは好き。

だって、瑛先生の匂いと同じだもん。

真剣な目をして筆を握る先生のお顔ってステキ……


 
『展示会に出品される大作も、小さなお子さんのためのお手本も、

先生がお書きになるときのお顔は同じなのよ。

そこがね、先生のすごいところだと思うの』



家政婦の林さんが言ってたわね。

うん、私もそう思う。



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