瑛先生とわたし


昨日のことだ。

龍之介が久しぶりに家に顔を見せたが、いつもの元気がない。

ばーさんが、どうしたのか、悩み事でもあるのかと聞くと、もごもごと口ご

もってはっきりしない。

それでもしつこく問い詰めたところ、気になる子がいる……とぽつんと

言った。

コイツもようやくその気になったのかと、ばーさんと手を取らんばかりに喜

んで、詳しく話せと龍之介をせきたてた。

相手の娘は未婚の母で、小さな男の子を抱えていると言う。

子持ちの女はどうか……と思い 「それはちょっと……」 と言いかけると、

ばーさんが 「子どもがいるから気にしてるの? それがどうしたのよ」 と

言い出した。

おいおい、子どもがいるんだぞ、それがどうしたって、大変なことだろうが! 

と言い返してやった。

俺とばーさんが夫婦喧嘩を繰り広げる横で、龍之介がまたひとこと

「彼女の気持ちをまだ聞いていない」 と言い出した。

はぁ? まったく、情けないヤツだよおまえは。

龍之介の言葉を聞いて、さすがにばーさんも呆れていた。



「それに彼女、瑛のことが好きかもしれない」


「瑛君を? その人は習字の生徒さんか」


「うん……彼女、蒼って名前なんだ」


「あお?」


「くさかんむりに倉の字だ」



言われて、なんとなく字が浮かんだ。



「蒼か、色の名前だな」


「瑛もそう言ってた。で、息子の名前が透って一文字だ

彼女は色の名前で、子どもは男の子で、名前は一文字で、

まるで瑛の相手みたいだろう?」



龍之介の話に、俺もばーさんも言葉を失った。

藍の代わりにやってきたような蒼さんには、 藍と一緒に亡くなった息子の生

まれ変わりのような、一文字の名前の男の子がいる。



「そうか……言われてみればそうだな。

長谷川の男は干支がつくからな、透じゃ合わないや」


「おとうさん!」



しまったと思ったとたん、ばーさんに叱られ睨まれた。

長谷川家に生まれた男の子の名前には、干支の一文字がつく。

俺は寅年だから虎児、龍之介は辰年だ。

一方花房家は、男の子は一文字の名前と決まっているそうだ。

それで、瑛君は息子に渉と名づけた。


しょんぼりとへこむ龍之介を見ながら、俺はあることを思いついていた。

蒼さんという人は、瑛君のために現れたんじゃないかと……

蒼さんの名前しかり、その息子もしかり。

神様が、龍之介を通じて蒼さんを俺たちの前に連れてきたとしか思えない。

これは、どうにでも俺がまとめなければならない再婚話なのだ。


ため息ばかりつく龍之介へ 「まずは 蒼さんの気持ちを聞かなきゃ」 と

ばーさんが言うと、「瑛がライバルだからな。瑛には勝てないよ……」 と、

すでに諦めたようなことを言う。

それを聞いたばーさんは 「そうね、瑛さんはしっかりしてるもの……」 と

抜かしやがった。

「実の息子より婿に肩入れするとは、それでも母親か!」 と言ってやったが、

実のところ俺もそう思っている。


龍之介、おまえにはきっと、ほかに相手があらわれるはずだ。

ここは諦めて、瑛君の幸せを祈ってくれ。

だが、さすがにそれを息子に言うわけにはいかない。

これは俺に与えられた使命だ、天命だ。

決めたら、もう迷いはなかった。



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