瑛先生とわたし


「ここまで誰に送ってもらったの?」


「電車を降りてバスを待っていたら、

昔のピアノの生徒さんが車に乗せてくださったの。

ほら、あなたの同級生のヤエちゃん。覚えてる?」


「彼女、この近所が実家だからね。時々会うよ」


「ご実家のお父さんが入院なさって、

それでね、オウチのお手伝いをなさっているんですって。

お子さんも小さいのに感心だわ。ヤエちゃんのお母さんも助かるでしょうね」


「それで、今日はどこに行った帰り? すごい買い物だけど」


「あっ、これ。これはね、

お父さんがお世話になった方へのお礼のお品なのよ。

おひとりおひとりに選んでいたら、こんなになっちゃって」


「そう、それは大変だったね」 



私のおしゃべりにも耳を傾けて、それから、どうしてこうなったのかと聞いて

くる。

これが華音なら…… 


『あのね、同級生がどうとかって前置きはいいの。それにね、買い物だけど、 

一人ひとり選ぶなんて面倒なことしないで、みんなに同じ品を選べばいいのよ』 

なんていい返してくるはず。

でも、瑛はそんなことは言わないわね。

相手の話をきちんと聞いて、気持ちを尊重してくれる。

意見があるときは、それとなく促すように言ってくる。

いまも……



「どうしてタクシーを使わないの。こんなときは利用するべきだと思うな」


「だって、瑛が乗らないのよ。私も乗りたくないの」


「母さん……」



大事な藍ちゃんがタクシーの事故でなくなって以来、瑛はタクシーに乗らなく

なった。

親しい人なら誰もが知っている。

でも、それは自分だけのこだわりだからと瑛は言うけれど、私も息子と同じ思

いでいたいと思うもの。



「それなら、品物を買った先から自宅に送ってもらうといいよ。

そのほうが母さんも楽だろう?」


「あっ、そういえばそうね。 思いつかなかったわ。あはは……」



言われてみればそうだわ。

そうよ、買った先から送ればよかったのよ。

気が利かない母親でごめんなさいねと言いつつ、息子の顔を上目遣いにチラッ

と見ると 「少し待ってて、仕事を終わらせるから。そのあと家まで送るよ」 

と立ち上がった。

「お母さん、少し考えればわかるでしょう」 なんて華音なら呆れるでしょう

けど、そんなことを言わないところも瑛らしいわね。


それにしても、あの話は本当かしら……

仕事部屋に向かう息子の背中を見送りながら、長谷川のお父さんのお話を思い

出した。



< 66 / 93 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop