泡沫(うたかた)の落日

第17話 紐解かれ始める謎

 嶺司と結愛が慌てて玄関に行くと、エントランスホールに、二人の若い男性が立っていた。

「結愛……」
「結愛!!」

 その男性達は結愛の姿を見つけると、安堵の表情を浮かべた。懸命に結愛の事を探し回っていたのか、目の下にうっすらとクマがあり、疲れてるような雰囲気が漂ってる。

「あなた方は、結愛さんのお身内なのですか?」

 嶺司は、少し半信半疑な信じられないような気持ちで尋ねた。

「初めまして。こんな早朝に突然お尋ねしてすみません。中里結愛の一番上の兄の、中里佳樹(なかざと よしき)と申します。こっちは結愛の二番目の兄にあたりますが、俺の弟の中里寛樹(なかざと ひろき)と申します」

 佳樹は自分と弟の自己紹介をしてから、礼儀正しく頭を下げた。

「はじめまして」
 
 佳樹に続いて寛樹も頭を下げた。

 二人共、185cm以上ある嶺司には及ばないが、178cmぐらいありそうな長身で、兄の方は年は26、7歳ぐらい。少し硬派な雰囲気の男気のありそうな凛とした頼りがいのありそうな感じがする。弟の方は、年は24、5歳ぐらい。しっかりしてそうだが、兄よりは少しマイルドな感じで、愛嬌のありそうな人懐こそうな雰囲気がある。二人共、整った綺麗な面立ちをしている。長いまつ毛、色素の薄いブラウン系の澄んだ瞳に末広型のくっきりした二重の目が結愛と類似していて、養女であるはずなのに、結愛と血を分けた実の兄妹なのだろうか?とちょっとした疑問が沸き起こる。
 二人共、大衆ブランド系のカジュアルファッションスタイルで、特にファッションにお金をかけてますという雰囲気ではないが、ラフなスタイルでも女の子にモテそうな、そんな人目を引くような存在感がある。

「結愛は俺達の妹です。ずっと懸命に探し回ってて、やっと見つける事が出来ました」

 ホッとした安堵の表情を浮かべる佳樹。
 嶺司は遂に恐れていた時が来てしまったのかと、最後の審判を受けるような心境になった。

「まあ、ここで話すのもなんですから、どうぞお上がりになって下さい」
「すみません。お邪魔します」
「失礼します」

 嶺司が居間の方に兄弟を案内し、その途中で、メイドの岡本さんにジェスチャーでお茶の用意をと合図を送った。

 兄弟達は、こんな所で結愛が世話になっていたのかと、何と豪華な屋敷なのだと驚きの表情を浮かべながら、嶺司の後に付いて行った。居間に案内され、ロココスタイルの応接セットの長椅子に腰掛ける様に勧められて、兄弟は並んで腰掛けた。
 お互いに聞きたい事や話したい事は山のようにある……。何でこんな風になってしまったのか……。

「この度は、結愛がこちらのお宅でお世話になっていたようで、すみません。色々とありがとうございました。何から話せばいいのか……。頭の中が混乱していて、上手くまとまらないのですが……。順序を追ってお話しします」

 初めに口火を切ったのは、兄の佳樹だ。

「相模之原湖のボート事故の事は、本当に最近になって分かったのですが……。結愛が湖で事故に遭い、相模之原中央病院に入院している丁度その頃……。あの日から、聖愛は結愛になりすまし、なに食わぬ顔で、俺達家族に接近し、結愛のふりをして家でのうのうと一緒に暮らし続けて来たのです。嶺司さんも、元妻であった聖愛と見間違えるぐらい、外見のとてもよく似た双子ですし、俺達の両親以外は結愛が双子である事実を知らなかったので、俺達は全く疑う余地も無い状況でしたし、父も何か変だとは思いながらも、まさか聖愛と入れ替わっていたとは思いもよらなかったようで、逸早く、今家に居るのは結愛ではなく、双子の片割れである聖愛ではないかと気付いたのは、母でした。疑いも無くそうだと思い込んで居る時は、何か変だと思っても案外気が付かないものだなと、本当に感じました。今思えば、結愛と聖愛は外見はそっくりでも、性格から嗜好から、何から何まで全く正反対なのに……」

 佳樹は嫌な記憶を手繰り寄せるように、嫌悪感を露にした表情をしながら語った。
 嶺司も結愛も、その話しに驚き、二人で顔を見合わせて、言葉を失った。
 
 佳樹の話しでは、結愛の実の母真琴と結愛は、鷲尾から一方的に離縁を迫られて、家を追い出され、離婚に追い込まれた。
 鷲尾は幼い頃、風邪をこじらせ高熱を出し、生死の境を分けた事があった。その時の事をとても気にかけていたらしく、真琴と結婚が決まった時、病院で検査を受ける事にし、その結果、乏精子症という事が分った。妻が自然妊娠で子供を得る事は難しい。その為、結婚したら体外受精で子供をと本人は考えていたようだ。その事については、真琴は全く知らなかった。
 結婚してすぐ真琴は妊娠、しかも双子だったという事で、鷲尾は自分の子ではないと疑い、真琴を責め始め、不義を犯していると疑って止まなかった。貞節な妻が不義を犯したと身勝手に疑い、そう思い込み、一方的に妻を追い出したという訳だ。
 乏精子症でも、その時々によって変動があり、重症でない場合には自然妊娠も可能だと言う事を鷲尾は知らなかった為、元々卑屈になりやすく猜疑心が強く嫉妬深かった性格と、何より自分の境遇にコンプレックスを抱いていた鷲尾は、真琴を真っ先に疑ったのだった。
 鷲尾は離婚を言い渡す時に、その当時、体が弱く病弱だった結愛を真琴と共に、役立たずな不必要な者という扱いで追い出した。一方、聖愛の方は、体も丈夫であまり泣かない手のかからない子だった為、今後再婚するにしても、万が一自分に子を為す事が出来無かった時の為の、身勝手な自分の都合から跡継ぎにと引取った。正確に言えば、真琴から聖愛だけをもぎ取ったと言っても言いかもしれない。真琴はどちらの子も手放したくなかったし、鷲尾との離婚も望んではいなかった。

 真琴は、双子を出産後、双子を一人で育てる疲労感と、鷲尾から疑われ暴言を吐かれたり、時には手を上げられ、心の休まらない日々を送り続け、やがて追い出されるようにして離婚となってしまい、心労が祟ったのかもしれない。離婚後胸を患い、サナトリウムに入り、殆ど寝たきりの日々を過ごし、結局帰らぬ人となった。
 結愛の養育と真琴が亡くなるまでの面倒は、今の両親である真琴の姉夫婦がずっと見てきた。真琴と姉の実家が奄美で遠方と言う事もあったし、年老いた両親に負担をかけたくないという考えもあった。
 真琴の姉は、真琴の体調が一向に回復しない事もあり、我が子として引きとる事に決め、真琴の承諾も得て、結愛が4歳の時に、特別養子縁組みをして、実の子として育ててきた。
 結愛と兄二人が似ているのは、血の繋がりのある、いとこ同士だと言う事もある様だ。

「結愛……。お前、記憶喪失だって聞いたが、兄ちゃん達の事思い出せないか?」

 二番目の兄寛樹が、結愛の顔を心配げに覗き込むように見ながら言った。
 
「ごめんなさい、なにも思い出せません」

 結愛は、心痛な表情で首を横に振った。他人行儀なその返答に、兄二人は困惑したような表情を浮かべた。

「あのボート転覆の事故の事ですが……。結愛は、幼い頃水の事故に遭い、それが原因でトラウマになってしまって、水を恐れて泳ぐ事が出来ないし、船に乗るのも恐がり緊張するぐらいですので、一人でボートに乗るだなんてありえないし、あれはどう考えてもおかしいんです」

 佳樹が話しを続け、寛樹も重い表情で、話しに同調するように時々頷きながら耳を傾けた。

 結愛の亡くなった実母とその姉である養母の実家は、奄美大島で民宿兼食堂を営んでおり、今は、叔父(結愛の母の姉弟)夫婦が跡を継いで営んでいるが、結愛の亡き祖父が現役の頃は、毎年子供達は夏休み中、奄美で過ごしたそうだ。

 食堂の食材は、馴染みの漁師から、毎朝取れた魚介類を直接買い付けていて、その関係で漁師さんの船に乗せてもらいあの事故に遭遇したらしい。
 船は観光客も乗せられる船底が一部グラスになっているタイプの物で、あの日はプロでも躱し切れない、予測不能のいきなりの高波が起き、一番小さくて体重も軽い結愛が、大きな揺れに対応出来ず、海に投げ出されたそうだ。
 船は大きく傾いても元通りに戻る復元力があり、滅多な事では転覆して沈むと言う事は起きない。あの時も、大きく傾いた後、船は元に体制を立直した。そして、結愛の祖父がすぐに救助し、大きな事故にはならなかったが、周辺にはサメもいて小さな子供にはとても恐ろしい体験だったのだろう……。結愛には水を恐がる恐ろしい記憶として心に残ってしまった。

「で……、聖愛が結愛になりすまし、うちにやって来た時の話をしようと思いますが……」

 佳樹の話す話しは、背筋が凍りつくような不気味で奇妙な話だった……。

(第18話に続く)

 


 



 



 
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