泡沫(うたかた)の落日

第5話 甘く苦いあの記憶・1(嶺司SIDE)

 キッチンに行く聖愛の後ろ姿を目で追いながら、嶺司は過去の苦い記憶を思い起こしていた。
 
 あれは、昨年の7月の終り頃だった……。
 新しい分野での事業開拓を模索中だった頃、新しく取引を開始するか検討段階に入っていた、健康食品関連会社”鷲尾ウェルネスフーズ株式会社” の代表、鷲尾巌(わしお いわお)の一人娘だったのが”聖愛(せな)”だった。
 美容ダイエットサプリメントで爆発的な人気を呼び、急成長を遂げた会社で、その当時多数のマスメディアにとりあげられ、うちの社でも取引を検討していたが、ごくごく少数ではあったが、健康被害を訴える声が上がっている事を突き止め、実際に効果があるのか?長期飲用した場合の健康ヘの影響などのエビデンスデーターも明確に確立されてない事を憂慮して、うちは最終段階で取引はしない決定を下し、難を逃れた。
 実はサプリメントから、長期服用すると腎臓に害を及ぼす、恐ろしい無認可の薬物が検出され、後々沢山の被害者が出る事となったのだ。マスメディアを巧みに使った宣伝も、一般消費者の声を装ったサクラを大量に使用した虚偽だった事が後々露見された。鷲尾ウェルネスフーズ株式会社は倒産、現在、聖愛の父親は逮捕、身柄を拘束され拘置所暮らしである。

 今思い返せば、聖愛の父が、うちの社との取引を円滑にさせる為の駒として聖愛を私に接近させてきたのだと思う。
 最近になって、鷲尾親子に関する様々な黒い噂を耳にするようになった。
 その中の一つが、取引を有利にさせる為の駒として、あちこちの企業の代表に聖愛を色仕掛けで接近させ、相手の弱みを掴むとそれをネタに父親が相手を脅迫し、自分の事業に有利なように取引の確約を取る事。
 聖愛の父は、裏では相当危ない事や、人の恨みを買うような事にも手を染めていたようで、逮捕された途端、もう恐いものはなし!と言う状況になった者たちの、不満や恨みの声が一気に放出して、私の耳にも届くようになった。

 あの頃、鷲尾から「娘が藤城さんにとても好意を抱いてるので、一度会ってやって貰えないだろうか?」と、幾度となく頼まれる事があり、少し困っている状況だった。
 何でも、何処かのパーティーで私と会った事があるらしく、2、3会話もしたらしい。私は全く覚えがないのだが……。初めはやんわりと断り続けていたが、あまりにも熱心で、一度だけならと根負けするような形で会う事となってしまった。
 あの頃は本当に、まだまだ仕事にだけ専念していたかったし、結婚は40近くなってからでも構わないかなと、漠然と思っていた。ただ、いつか取引をする事もあるかもしれないし、今後の為に向こうの顔を一度は立てておいた方が良いかもしれないなと、邪な考えで会う事に決めたのも事実だ。

 鷲尾の娘は、ちょっとすれた軽い感じの派手好きのミーハーで、芸術や文化的な物には全く興味を持たないタイプだと聞き、ミュージアムに誘えば、退屈な相手だと一発で嫌われるだろうと思い、わざと『相模之原ポルセレインミュージアム』をデート場所に選んだ。

 聖愛の家もしくは近所まで車で行き、一緒に出掛ける予定でいたが、何故か頑なにそれを断り、現地集合の現地解散が良いと言い張り、結局『相模之原ポルセレインミュージアム』のエントランスホールで、待ち合わせする事になった。
 ちょっと変わってるのか、本当は父親の方が私とくっつけようと躍起になっているだけで、聖愛の方は実は何とも思ってないとか、逆に嫌がられているのではないだろうか? と、その時不信感を抱いた。

 大体、彼女の年を聞けば21歳で、私よりも10歳も年下じゃないか。好意どころか、ただのオッサンにしか見えないだろう!!と突っ込みを入れたくなるような気分になった。
 デートと言うかお子チャマのお守りだな……。まあ、後々の事を考えれば、年が離れ過ぎてて世代も違うし、口実も作りやすく断り易くなった訳だし、好都合だなとも思った。

 丹沢の山々の連なる自然豊かな神奈川県の北部、そこに大きな人造湖があり、そのほとりに『相模之原ポルセイレンミュージアム』があった。
 自宅から高速でここまで2時間弱。少し早めに家を出てしまい、待ち合わせの時間よりもかなり早く到着してしまった。時計を見たら、待ち合わせ時間までまだ1時間30分以上もあるじゃないか!! 久々のデートに浮き足だってる色めきだったオッサン像が浮かんできて、ちょっと背筋が寒くなってきた。確かに仕事一筋、ここ最近、女性とデートとか、そんな機会も時間も無かったな……。と、我が身を気持ち反省。

 そうだ、カフェで休んでるか。ぼーっとエントランスホールに佇んでいるのも締まらない感じがするし……。

 そう思って、カフェの方へ足を一歩踏み出そうとした時だった。エントランスホールの中央のベンチにちょこんと腰掛けて、回りをキョロキョロと、時折見回す女の子の姿が目に留まった。

 年は19、20歳ぐらいだろうか……。トップはゆったり系の膝上ワンピースと裾にレースをのぞかせた重ね着スタイル、下は裾がリボン結びの7分丈スパッツ。素足に低めのヒールの編み込みサンダルを履いている。タックを寄せたふっくらした形の布のショルダーバッグを肩から下げて、いわゆるナチュラルフェミニン系のガーリーカジュアルファッションスタイル。
 髪型は、ライトブラウンの髪を、裾の方だけふんわりと緩めにカールしたガーリーヘアーで、サイドに編み込んでシュシュでまとめてる。ほんのりと頬がピンクがかった血色のいい透明感のある色白肌に、淡いピンクのグロスを付けた、少しぽってりとした唇が可愛らしい。長いまつ毛、色素の薄いブラウン系の大きな瞳に末広型のくっきりした二重の大きな目がとても印象的。

 3階まで吹き抜けの、採光窓付きの天井から降り注ぐ柔らかな日差しが、まるで後光のように彼女の上に降り注ぎ、そこだけキラキラと輝いているような錯覚……。
 これは……。大聖堂の天井画に描かれてそうなエンジェルと言うイメージだ!! フッとイメージが浮かんできて、その場にくぎ付けになってしまった。みっともない事に、自分のツボに直球でピッタリと嵌ってしまった。好みのタイプの女の子と言うのだろうか……。金縛りに遭ったように、身動きが取れなくなった状態になってしまった。

 普段私に言い寄ってくる女性が、家柄も良し、頭脳明晰、スタイル抜群、とても自分に自信ありますってタイプの積極的な娘ばかりなので、少し線が細く儚げにも見える美しさと、反比例するかのような若々しい健康的な美しさと、非常にピュアな雰囲気のこの女の子がかなり新鮮にも感じたし、魂の共鳴を感じるようなソウルメイトのような、運命を感じる人と言う気がした。

 うっかり見惚れてしまい、じっくりと見つめすぎてしまったのだろうか?
 フッとその女の子がこちらの視線に気が付き、真っ直ぐにこっちに向って歩いてきた。

『ウワッ!まずいな……』
 心の中で『何このオッサン、人の事ジロジロ見てるのよ!! 変態!!』そんな彼女の心の声が聞えて来た気がした。

「すみません……」
 
 私の顔を覗き込んで、少し不審げな表情にも見える彼女。

「はい……」

 何故か悪い事をした犯罪者のような心理状況で、心臓の鼓動が速く打ち始める。

「あの、もしかして……。藤城さんですか?」
「えっ?」

 ――これが私と聖愛との出会いだった。

 (第6話に続く)
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