天使より悪魔
悪魔は見届ける
 カイムは翌日、サザンの指示通りに銀行前で待ち伏せをした。大手都市銀行。でかでかと己を誇示するかのように看板が掛けられている。人の往来もどこか忙しない。
 
 サザンの指示では十四時三十分に銀行から出てくるところを捕獲、悪魔界が用意したマンション一室へ移動。という手はずである。それらの行動をカイムは人に見られても構わない。後日、姿形を変え、今の風貌はなかったことになる。今回は上等なスーツを着込み、黒縁眼鏡を掛けている。どこからどう見ても有能なビジネスマンで通る。
 
 携帯を取り出し、送られてきたタマキの画像を確認した。それと同時にそっくりな男が自動扉から出てきた。カイムはタマキの肩に手を振れ、気絶させる。貸したくもない肩を貸し、用意してあったベンツに乗せる。得意に周囲は気にするでもなく、あっさりと事は運んだ。人間というのは、なんだかんだ言って自分のことしか興味はないのだ。見ているようで見ていない。
 
 マンションの一室には、ベッドとロウソクだけがあった。他に無駄なものは一切ない。タマキを縄で縛ったあと、カイムは彼の頬を数回引っぱたき起こした。
 
 タマキの目が徐々に開き、目の前にいるカイムを見た途端、大きくなった。右分けの髪。上等なスーツを着ているが身分不相応は明白だった。
「いやあ、どうも」
 カイムはタマキに言った。
「な、なに、これはどういうことだ」
 タマキは取り乱した。
「どうせタマキさんは死ぬから言うんだけど、僕は悪魔のカイム。詐欺師である人間としてあるまじき行為をしているあなたを裁きにきました」カイムはできるだけ丁寧な口調を心がけた。サザン曰く、〝言葉使いは人となりを表す〟、だ。だから悪魔だって、とカイムは言い返したいが、いつも胸の奥深くに封じ込めている。
「悪魔ぁぁあ?」と不慣れな啖呵をタマキは切る。
「信じられないものを無理はないね」とカイムは言い、タマキの魂の出し入れを行った。魂というのは普通は白色なのだが、タマキのは黒く汚れていた。
「な、な、な、なんだこれは」
 タマキは目の前の光景に驚愕の表情をした。それも無理はない。魂の出し入れは、身体エネルギーを支えている重要な役目を担っている。それが出し入れされれば身体が軽くなったり、元の身体の重みを繰り返す。
「これで信じてくれるとありがたい」
「詐欺師なんて他にもたくさんいるだろうが。なんで俺なんだ」
「なんで俺?っていう質問はおかしくない?だって遅かれ早かれタマキさんは僕に裁かれるんだから」
 不適な笑みを効果的にカイムは示した。
 ふざんけんな、とタマキは息巻いていたが、「教えてよ」とカイムの一言で黙る。
「何を?」
「最近、タマキさんがだまし取った不動産会社の経営者のこと。騙しとったお金返して」
 複数の会社を騙していたのだろう。タマキは視線を上に向け思案していた。そして、「ああ、あの運転資金に困っていた会社か。融資の話を持ちかけたら、ころっと騙されたよ。騙される方が悪い。人を信頼する方が悪い。この世はなんでも金で解決できるのさ」と言った。
「手口は?」
 カイムは訊いた。
「まあ、この手法をやってる奴は多いからいいか。単純だ。ノンバンクの銀行で家を担保に六百万融資させる。それをこちらが用意した口座に振り込ませる。その口座には既に一三千万円入っている。それを合わせると三千六百万、その預金証書を担保にまた金を借りる。だが金は借りれない。なにせ偽だからね。その頃には六百万は俺の懐へ、っていう流れだ」
 
 なるほど、おそらく話の大部分は省かれているだろうが、預金証書を担保にしてノンバンクの銀行一社ぐらいは信じさせるために金を借りれるよう細工をして、二社目で断わられる、という、なかなかの手口だ。まあ、感心してる場合じゃないか、とカイムは思った。
 
 カイムはタマキの胸元を探り、異物を感じた。それを取り出す。そこにはキャッシュ
カードが入っていた。
「暗証番号教えろ。もうお前に金は必要ない。必要としている人がいるんだ。それに、必死になって汗水流して、家族を養っている人間がいる」
 そう言いながらカイムはフユカが脳裏をよぎった。笑うと八重歯がのぞく黒髪の少女。
「そんなわかってるわ。でもやる。俺は銀行で働いてたんだが、急にリストラにあってよ。それも理由が上司の不正を暴いたからだ。まあ、その暴いた証拠も握りつぶされたがな。銀行はクズの集まりだ。その銀行を利用して何が悪い」
「お前もそれなりの過去があったわけだ。むしろそれなりの頭脳があるのならもっと全うな形で役立てるべきだな」
 カイムはそれ以上の無駄話をやめ、魂を喰った。非常に不味かった。不満が凝縮された味だった。誰もが心の中で満たされない思いを抱えている、それでも微かな希望を抱いて生活している。なぜ、人は邪なものに魅せられるのか。その答えはカイムにはまだ提示されていない。
 
 タマキの縄を解き、ベッドに寝かしつけ、口元にロウソクを一本咥えさせた。ライターで火を点け、部屋を暗くした。たしかに幻想的な光景だ。カイムは思う。タマキの顔が仄かに光、慈愛の温かみが彼の周囲を包んでいる。また人間に生まれ変わることがあったら、その頭脳を生かせる環境に身を置くことを期待したい。
 
 そしてカイムは気づいた。キャッシュカードの暗証番号を聞き忘れたことを。まあ、いい。サザンがなんとかしてくれるはずだ。カイムはロウソクの光を見つめながら、写真を一枚撮った。

 一ヶ月後―――

 カイムはフミカの自宅前にいた。キャッシュカードの暗証番号はサザンに解明してもらった。口座には七億近いお金があり、三千万円をフミカの自宅に届けた。そこに一通の手紙を添えた。
    
 フミカさんへ
 
 あのときのお客です。お金は取り戻したました。またどこかで会う日まで。また家族が笑い合えることを願ってます。
                              あのときのお客より

 立派な一軒家から笑い声が聞こえる。どうやら犬もいるらしい。どうやら家族全員が庭へ出てきた。その中にフミカがいるのをカイムは確認した。そこには踏切で死にたい、と言った哀しみの表情はなかった。希望に包まれた明るい笑顔がそこにはあった。それにカイムに気づくことはない。既に新しい容姿に変わっているからだ。今回はチャラチャラした男という設定だ。どうもこういう男をカイムは好まない。
 カイムはフミカの自宅から立ち去ろうと踵を返した。
 が、「すみません」というフミカの声がした。「あのときの人ですよね」
 その声にカイムは振り向かなかった。そうした方がいいと思ったからだ。なにせ俺は悪魔だ。関わってもろくなことがない。
「ありがとうございました」
 というフミカの声が妙にカイムの心を穏やかにさせた。太ももから携帯のバイブの振動が伝わり角を曲がったところで耳にあてる。
「お別れはできたかい」
 サザンの声が響いた。
「なんとか」
「悪魔に似つかわしくない所業だね」ヒヒヒと笑い、「で、新人をカイムちゃんの下につけるから。顔写真添付しとくね。じゃあ」と用件を述べて切った。
 
 すぐに新人と思しき画像がカイムの携帯電話に送信された。それを見て彼は苦笑した。それはいつぞやか〝悪魔〟になりたい、と言っていた殺人マニアの老人だったからだ。名前は、メル、と可愛らしい名で、歯並びの良い笑顔が愛嬌を感じさせる。まあ、すぐに姿形は変わるだろうが。
 
 やれやれ、悪魔になりたい、という変わり者も世の中にはいるようだ。それでも夢が叶ってよかったじゃないか、そう思い、カイムは携帯電話をポケットにしまった。
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