もうひとつの恋
そんなことはわかりきってるはずなのに、胸の奥がチリチリと痛むのがわかった。


俺はしばらくその場に立ち尽くしたまま、動けないでいた。


自分が会いに来れば、美咲さんが喜んでくれると勝手に思い込んでた。


一人で悩んでるんじゃないかって……


だけどそれはただの俺の妄想で、実際は俺に会わなくたって、声が聞けなくたって、なんとも思ってなかったんだ。


ハハッ……情けない……


さとみさんも小嶋さんも間違ってましたよ。


美咲さんが俺なんかに、ヤキモチを妬くわけなかったんだ……


俺はずっとそらせないでいたマンションの入り口から、ようやく視線をゆっくりと外す。


それから重く動かなかった足に力を入れて、最初の一歩を踏み出した。


固まっていた体が徐々にほぐれていき、やっとのことでこの場から逃げ出すことが出来る。


駅に向かう道を歩きながら、さっきの美咲さんの笑顔を思い出した。


柔らかな優しい笑みを、彼女はあの男性に向けていた。


いつもは品の欠片もない顔で笑ったり泣いたり怒ったりしてたくせに……


俺の知らない女の顔を、躊躇することなく自然にあいつには見せてた。


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