Trick or Treat!
 彼の車は赤いレガシィだ。まだ新車の香りがするその車の助手席に座ると、山崎君は運転席に座りナビを設定していた。

「場所は?」
「東都大付属南部病院なんだけど…。」
「東都大付属……あ、これか。よし。50分くらいでつきますね。」

 電車で行っていたらもっと掛かるだろう。立地が余り良くなくてここからのアクセスが悪いのだ。

「ごめんね…。」
「もう謝らないでくださいよ(苦笑)。」

 エンジンをかけると、ゆっくりと車を進めていく。駐車場から出ると雨が降っていたことに初めて気づいた。

「雨、だったんだ。」
「あー、さっきまで微妙だったけど、降っちゃいましたね。」

 この中を走っていって、病院の駅に着いたとしても、タクシーが捉まらなかったかもしれない。その時手がふと温かくなった。

「手が冷たすぎる…。」

 赤信号のタイミングで山崎君の大きな左手が、私の握りしめていた両手をしっかりと包み込んでいた。緊張とショックで手が冷えてしまったんだ。彼の体温が私に移ってきているみたいに、少しずつ暖かさを取り戻していく。

「七海さん。芽依ちゃんはきっと大丈夫です。あなたを一人にはしない。」

 その言葉にびくりとして、何度も頷く。

 芽依は強い子だ。だから大丈夫。絶対に大丈夫。

 青信号になり、そのぬくもりが離れたときに思わず「あ…」と声を漏らしたら、彼はにっこり笑って頭をぽんぽんと叩いた。

「安全運転で尚かつ早く着かないといけないからね。」

 雨脚はどんどんつよくなり、今朝予報で夜間大雨と伝えていたことを今更のように思い出した。その頃には家に帰っているから、と思っていたんだっけ。

 ワイパーの音と、小さく聞こえるラジオの音が車内に響く。車外の流れる景色を見ながら私はひたすら芽依の無事を祈っていた。



 病院に着いたのは予定よりも早かった。決して飛ばしていた訳じゃなくて、信号が嘘のようにタイミングが良かったから。
 救急外来の入り口で私をおろすと、彼は車を置きにパーキングへと向かった。ついでに上川君にデータを送信してくるそうだ。私が受付に走り案内を聞いていると、後ろから「七海っ!」って声がした。あかりちゃんだった。

 あかりちゃんは哲平を抱っこして、その横には恭君が泣きはらした顔で立っていた。

「芽依はっ!?」
「今さっき小児科に移ったよ。」
「え、じゃあ。」
「あとで、ドクターから説明があるけど、CTやMRIでの異常は見られないけど、頭を打っているし両足ひねっちゃっているから1週間ばかり入院って言ってた。」

 恭君が泣きながら「ごめんなさい。」と謝っていた。あかりちゃんの説明によると、みんなで公園に遊びに行ったら学校の友達がいたから、一緒になってジャングル鬼をやることになった。
 それで暫く遊んでいたら、芽依が逃げ損ねて足を滑らせて落ちてしまったそうだ。着地の時足の向きがおかしくなってそのまま倒れて、運悪く近くの縁石に頭をぶつけて脳しんとうを起こしてしまったというのだ。

「恭君が悪いんじゃないからいいんだよ。」

 それでも恭君はショックだったんだろう。えぐえぐとまた泣き出してしまった。そうこうしているうちに山崎君が走ってきた。

「七海さん、芽依ちゃんはっ!?」
「あ、今ドクターから話を伺おうと思っていたところ。彼女が聞いた説明だと、脳しんとうと両足をひねっただけで済んだみたい。」

 それを聞いて彼も安心したように大きく息を吐いた。私も車の中でだいぶ気持ちが落ち着いてきたから、山崎君とあかりちゃんを簡単に紹介した。

「岡 芽依ちゃんのお母さんですか?」

 後ろからナースに声をかけられ、ドクターの説明がある、と言うことだったので、みんなを置いてそのままナースステーションの奥へと向かった。

 ドクターからの説明はあかりちゃんから聞いた事とだいたい同じ内容で、より詳しく説明してくれた。こめかみにたんこぶと傷が出来ているけど、これは数日で治る。足もひねっただけだけど、両足だし、脳しんとうも起こしているので、念のため1週間ほど入院する事になる、という事だった。

「まぁもう暫くすれば目も覚ましますよ。話を聞いたら大人の身長辺りから落ちたみたいで、この程度で済んだのが不幸中の幸いでしたね。」

 私はようやく胸をなで下ろす事が出来たと、共にドクターの話でぞっとした。もしかしたら、今芽依がいなくなっていたかもしれないのだ。

「あの…付き添いは出来ますか…?」

 おそるおそるドクターに聞いてみる。せめて今晩だけ付き添ってあげたい。起きたときの不安を除いてあげたい。なによりも自分が安心したい…。
 ドクターはそんな私の様子を汲んでくれたのかもしれない。パソコンで色々と操作し始めた。

「うーん。ちょっと待ってください…。基本完全看護なんで……。個室じゃないと他の子供に影響があるんですよね……。うーん……あ、ここか……幸い個室が空いていますから、今日はそちらに入れましょうか。多分起きたときにパニックになると思いますので、それで大丈夫ならそちらで付き添ってください。今晩だけですよ。」

 ドクターの取り計らいに感謝しつつ、暫く待ってから芽依が寝ている病室に案内された。

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