ホーリー 第一部


 これがことの顛末。希望は、リスクを伴う。それがたとえ偽りの希望でも。彼らがなぜ霧に埋もれて死んだのかはわからない。怖気づいたぼくは、ロクに行ってなかった学校も辞めてしまって、すごすごと実家に引き返した。闘う勇気も、突っ走る気力も、ただ単純に楽しむ純粋さも忘れて、ひねくれきった日々を過ごした。ダラダラと家庭に甘えながら日々を費やす中、あの不思議な夢だけが希望であり、ぬくもりだった。けれど次第に夢が熱を強めていく中で、それでもぼくはなかなか動けずにいた。けっきょく、大人になりきることもできず、かといってじぶんの持つ不満や疑問に対して、なにか具体的に動くことも一切なかった。そして、夜中にうろついていてたまたま見つけたのが、今働いている「四次元」という酒場だった。店内には夥しい数の“円盤”が並んでいて、懐かしいのから目新しいのまで、たくさんあった。人もみんないい人ばかりで。ぼくは其処に通うようになり、じきに働くようになった。そうやって、また都合のいい居場所を造った。もはや“円盤”は何かと向き合うためじゃなくて、ただ単純に楽しむためでもなくって、くだらない世界とつまらないじぶんを誤魔化すために聴いていた。なにもできやしないのに偉ぶって、なにもしないのに深刻ぶって。そんなじぶんに吐き気がして。“円盤”を聴いた。これでいいのだと、想えた。赦してくれるよね?と甘えた。そして、学校の本で見た“UFO(未確認飛行物体の略らしい)”がこんなぼくらをいつかさらってくれるだろうとか、わけのわからない妄想に逃避していた。失墜した初期衝動の残滓が、しつこいくらいに心をこじらせていた。


 そんな日々を送っていた。けれども、24歳のときに夢の世界で“ピノ”に出会ってから何かが変わり始めた。少しずつ動き始めた。世界のあらゆる意味が、ぼくのなかでまるでべつものみたいに変わっていった。霧も、星も“円盤”も、人付き合いも、なにもかもがより深い意味を持つようになった。それでも、あのとき、けっきょくぼくはなにもしてないじゃないかと気づいた。変わったなどというのは単に観念論に過ぎなかった。夢の中のふたりが、一度ガラガラと、つないだ手を離してしまったとき「あのときあんたは鼻歌を歌ってて、ピノ、べつに負担になってないんやって想ってうれしかったって、そう云ったけど、けっきょくなんにもわかってなかっただけなんやね」と、鈍器のように吐き出されたことばにハッと息を呑んだ。少年はそれからのたうつように己を呪い、ぼくはただそれを冷たい心で眺めた。同族嫌悪。見ちゃいられなかった。ぜんぶしょうもない嘘だったのか。メッキははがれた。幻想は打ち破られた。ねえ、気分はどうだい?そんな風に少年を揶揄しながら、じぶんもおなじだというのもわかっていた。

 それから、ふたたび紆余曲折を経て、少年たちの関係もすこしずつ回復していった。あたらしく育まれていく光の中で、ふたりは、やがてそれまで以上に深い絆を築いていった。やさしくて暖かい、ぬいぐるみのうさぎたちに見守られながら。そして、アイスクリームを食べた日の、失態。少年は、今度こそ大切なものをほんとうに大切にしたいと、意気込んでいた最中だった。ぼくもまた、いつもの揺れやすい気まぐれで“霧”のことや世界のことについていろいろ想いをめぐらしていたところだった。付け焼刃の中途半端な知識と、少年の自信の欠如が、結びついて、捩れた失態を生んだ。少年は決意を新たにした。もう、こんなことはいいよ。すこしでも、光があるうちに。光の中を歩くんだ。その決意も、激しい後悔も、ぼくの胸に根深く突き刺さった。そんな矢先だった。あの仔に出会ったのは。


 あんな気持ちになったのははじめてだった。あんな風に、誰かを大切に想えたことは。愛しくて、涙が出そうだった。それに、暖かくて、幸せだった。まるで夢の中みたいだった。ぼくと“ロロ”は互いに影響を受けあって、ときに同調して、じぶんでもどっちがどっちの考えかわからなくなることもあった。そんなふたりを大きく違えていたのは、たったひとつの想いだった。ぼくはあの仔に出会って、ほんとうの意味で、ロロの核にあるその想いを理解するようになった。そして堰を切ったように、今までロロの血を熱くさせてきたたくさんの想い出が、より深い意味を持ってぼくに流れ込んだ。ぼくとロロは、やっとひとつになった。お互い、頼りないけれど、ふたりの大切なものを大切にするために、共闘しようと誓った。

 そして物語がはじまる。世界がはじまる。あの不思議な夢も、ぼくらが生きるこの日々も、やっとひとつにつながって息づき始めた。夢は、謎多き現実になった。あの暖かい夢が、ほんとうの意味での光になって、同時にこちらの世界の存在が夢の世界に影を落とした。ふたつの世界は、どちらも現実であり、確かにつながっているのだという漠然とした予感が、もはや疑いようのない確信に変わった。じぶんは少なくともなにかの鍵を握っていて、なにかを変えていくことができるのかもしれないと、もう一度想えるようになった。ふたつの世界が、ぐるぐると、あたまの中で廻りだす。なにかしたい。あの大切な夢の世界までもが、狂ってしまうまえに。そして、じぶん自身の生きやすさを、世界から取り戻すために。

 長い語りになった。いつかどこかで、これを誰かが読むことはあるのだろうか?もしここまで一行も飛ばさずに読んでくれた人が存在したとしたら、ぜひお礼を言わせて欲しい。ありがとう。すこしでも、ぼくのことばが貴方の魂に触れていたならとてもうれしい。もしかすると、ぼくの言ってることは支離滅裂で荒唐無稽でわけがわからないかもしれない。「なんだ、電波か?」と思われても仕方がない。それに「そもそも、君の半生は“変わった”とか“変わってなかった”とかばっかりでややこしすぎるよ。何回そんなことを言えば気が済むんだ?そんなんじゃあ、さっき君が熱っぽく語ってたことだって、嘘くさく思えて仕方がないよ」と思うかもしれない。わかってるんだ、そんなこと。ぼくもあまりじぶんのことは信用しちゃいないよ。だから、こうして記録をつけている。日々を、想いを、刻んでいる。ことばを羅列して、電波をスパークさせて。自らを奮い立て、立ち上がり続けるために。ヒーローはきっとね、幼稚な妄想から、中二病から始まるんだ。結果が出せなければただの愚か者で、結果が出せたなら英雄になる。ロックンロールに憧れた古代の若者たちも、きっと同じようなものだったと思う。ニセモノからほんものになっていった奴らだってたくさんいたはずだ。だから、今きみのまわりにいる不思議ちゃんやはみ出しものを、けして無為に抑えつけてはいけない。群れから離れる奔放さや強い矜持が、世界すら変えうることがあるかもしれないんだ。だれがその“可能性”を否定できる?もっと“あたりまえ”を疑うんだ。でなきゃ、ただの家畜になっちまう。ぼくは今、やっと歩き出したよ。方図も定まらないままに、道なき道を。はじめてギターを手にした、鏡のなかの少年のように。英雄に憧れながら。なんて、それはただのロジックで。ほんとうは、ただ単純に、たったひとつの大切な想いのために。じぶんのための想いのために。
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